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深夜徘徊支援事業団 26 Sfawomir Mrozek 「象」
- 2005/11/02(Wed) -
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ポーランド・ジャズを筆頭に様々な分野に関して、的確な批評を流麗な文章で表現されているオラシオさんの「オラシオ主催万国音楽博覧会」なのですが、先日Blog解説一周年を迎えたのを機にオラシオさんよりレビュー・リクエストの要請がありました。そこで片桐がオラシオさんにリクエストしたのがこのSfawomir Mrozekの短編集「象」です。オラシオさんのレビューはまさにMrozekという作家の作品性を鋭く衝いたもので大変読み応えがある内容です。それ故片桐はもう少し違った角度(本来がひねくれ者ですので)、この作家と不条理文学というものについて考えてみようかと思います。Morzekの作品の登場人物が一様に匿名性を保ち、それでいながら個性あふれるという特性は、これらの作品が書かれた当時ポーランドが共産主義国家であったという点は見逃せません。資本主義社会の横行を横目にしながら、不自由な国家体制下で暮らすということ自体が不条理であって、それに対してオラシオさんが指摘する「日常というものに対して『でへへ、まあしょうがねえよな』みたいなへらへら笑いながら肯定的に諦めている感覚」が生み出されてくるのは当然の帰結と言えると思います。すなわちMrozekの作品の「笑い」には自虐的な意味が込められている筈なのです。「俺たちはこんなに不条理な世界で生きている」と告発するよりは、硬直した共産主義国家の日常風景の中で「<日常を笑いのめす自分>を距離をおいて薄ら笑いを浮かべながら眺める自分」を淡々と描写するという手法を選んだからこそ、この作家の作品には「笑い」という文字よりは「嗤う」という文字の方が相応しいように思えます。
と、ここまではオラシオさんの指摘に即して述べてきたわけですが、ここから暴論に突入します。Mrozekの不条理文学の根底には何があるか?それはエディプス・コンプレックスではないか・・・?ということです。心理学的な定義で言えば、「男の子の母親への思慕、同性の父親に対する反感、そうしたことに対する罪悪感などにより形成される感情」になるのですが、母親を資本主義、父親を共産主義に置換するとどうでしょうか?彼がそういった感情を持っていたというのではなく、作品の特性を分析すれば簡単にそういった図式が浮かび上がると思います。非現実的な設定やシュールなイメージは共産主義への嫌悪感を包み隠すオブラートのような役割を果たし、その中で右往左往する登場人物を通じてステロ・タイプの行動・思考形式を諷刺するといった形式は、Mrozekが確信犯的に読み手に「作品から誘発された個人のオリジナルな感性」を期待しているとさえ言えるでしょう。そこで彼は作品を通じていっそう深く現実の本質へ目を向けさせるということを意識してたのではないかと思うのです。


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