その人はレア・チーズケーキが好きで、濃い目のアッサムとの組み合わせが絶品であると常々口にしていたものだが、当時いきつけの喫茶店のそれは、その人が「極上」と賞賛するだけあってまろやかな味わいと香り高い紅茶が相俟って、それこそ優雅な時間を過ごせたもので、その人が不機嫌になると即座にその店に誘って、機嫌を直すのにつとめたものである。
いつものごとく、レア・チーズケーキを頬張っていたその人は突然「E..NeubautenとNocturnal Emissionsではどっちがかっこいいと思う?」というようなことを突然訊いてきた。ノイズやインダストリアルといったジャンルが一つのムーブメントになりつつあったとはいえ、E..Neubautenは1stアルバム「Kollaps」を発表したばかりであった。

確かにメタル・パーカッションが打ち鳴らされる中にとどろく野生の咆哮にも似たBlixaの荒々しい叫びはトリートメントされているとはいえ、その原初的で破壊的な衝動は刺激的であった。しかし、既にCabaret Voltaireの洗礼を受けた身にとってはNocturnal Emissionsの方に知性のようなものを感じていた。「Tissue Of Lies」のアバンギャルドさ、「Fruiting Body」の徹底されたカット・アップ・コラージュと、単なるノイズの洪水にとどまらず縦横無尽に切り貼りされた彼らの音はまさに情報戦であり、徹底した心理戦でもあった。そして彼らの音は究極のエクペリメンタルな・ポップであり、まぎれもないダンス・ミュージックであった。
そんな彼らのライブ・アルバムはスタジオ盤以上のテンションと昂揚感が記録されている。

偶発性を優先しながら原始的な祝祭と最新のテクノロジーを組み合わせながら、Nigel AyersとCaroline Kは一心不乱に金属を叩き続け、Daniel Ayresの操作するテープ・コラージュが彩りを添えていく。ある意味で有機的、ある意味で無機質、そんな矛盾するようなベクトルを内包したパフォーマンスが続いていく。自分達の音楽を「革命のためのサウンド・トラック」と呼んでいたN.Emissionsは徐々にアブストラクトなダンス・ミュージックに比重を移していった。それはカタルシスの快感の誘引を目的としていたのであろうが、個人主義の流行とネット社会の繁栄といった面で見れば、彼らの目指していた「世界を剽窃する」といったテーゼは確実に浸透しつつある。その点でN.Ayersの戦略と選択は正しかったといえよう。
とはいえ、最近のN.Emissionnsの作品は手垢にまみれた手法の拡大再生産に過ぎず、興味を失って久しいが(それでも時々買ったりはしている)、ノイズの渦に身を委ねる快感を会話したその店も今となってはもうなく、その人と会うこともなくなってしまったので、その頃を想うと妙に懐かしかったりもする。