いつもよく行くレコード店にはいろいろな人がいて、そこで会話するだけでも面白いのですが、そういった中の一人のパティシエ見習いのお姉ちゃんに付き合わされて一日5軒のショップをめぐった片桐と言います。彼女曰く、スイーツとは甘いだけではなく、色調や繊細さを視覚で楽しみ、香りを楽しみ、味覚で楽しみ、最後に余韻を楽しむもので、換言すればパティシエさんの創り出したアートとのことですが、確かに評判のよい店のスイーツは美味しいはもちろんなのですが、見た目にも美しくやはり彼女の言うとおり芸術品なんだろうなぁ〜というのは理解できたのですが、さすがにスイーツ食べ歩きというのは拷問に等しいとも悟ったのでありました。

というわけで、Devendra Banhartのバンドの一員で、現在最もNeil Youngに近い位置にいると言われているAndy Cabic率いるVetivierの2ndアルバムです。前作ではゴスロリ女王?Hope Sandvalも参加したミニマル・ドローンっぽいサイケデリック・フォークの世界を展開してくれましたが、今回もアメリカーナな感覚そのままにトラディショナルなフォーク+アコースティック・ミュージックを基調とした脱力系アシッド・フォークを紡ぎ出しています。空間的な拡がりを強く感じるようなサウンド・スケープが印象的な「:Been So Long」、ピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」を下敷き(というかそのまんま)にしたような「You May be Blue」、アコ・ギとストリングが緩やかに交差していく「No One Word」と「Lost & Found」、ブリティッシュ・トラッドの要素も感じられるほのぼのとした「Idle Ties」、ほんのちょっとだけ挿入されるオルガンの響きが耳に残る「I Know No Pardon」、ギターの軽やかなアルペジオが心地よい「Maureen」、寂寥感を淡い色合いの音で表現したかのような「The Porter」、サイケなエフェクトを使ったちょっとドリーミーな雰囲気の「Double」、メディティーショナルなベルの音も効果的な「Red Lantern Girls」、カントリー・ロックの衣装をまとったような陽気なポップ・ナンバー「Won’t Be Me」、ファンタジックな夢心地の気分を味わえる「Busted」、初期西海岸風のサイケデリック・ポップな「Down At El Rio」まで、ちょっとかすれたような声で呟くように囁くようなAndy Cabicの歌声と意外にもストレートに構築された音響空間の狭間で、不思議にリラックスした時間を過ごせるアルバムではないかという気がします。それは目の前に広がったモノクロームのスクリーンの一部だけが人工着色されていく様子を眺めている、といったらよいのでしょうか。。。。?
奏でられている音の一つ一つがまるでマシュマロのような感触もするアルバムという気がするのでした。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=7065300&BAB=E

というわけで、Devendra Banhartのバンドの一員で、現在最もNeil Youngに近い位置にいると言われているAndy Cabic率いるVetivierの2ndアルバムです。前作ではゴスロリ女王?Hope Sandvalも参加したミニマル・ドローンっぽいサイケデリック・フォークの世界を展開してくれましたが、今回もアメリカーナな感覚そのままにトラディショナルなフォーク+アコースティック・ミュージックを基調とした脱力系アシッド・フォークを紡ぎ出しています。空間的な拡がりを強く感じるようなサウンド・スケープが印象的な「:Been So Long」、ピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」を下敷き(というかそのまんま)にしたような「You May be Blue」、アコ・ギとストリングが緩やかに交差していく「No One Word」と「Lost & Found」、ブリティッシュ・トラッドの要素も感じられるほのぼのとした「Idle Ties」、ほんのちょっとだけ挿入されるオルガンの響きが耳に残る「I Know No Pardon」、ギターの軽やかなアルペジオが心地よい「Maureen」、寂寥感を淡い色合いの音で表現したかのような「The Porter」、サイケなエフェクトを使ったちょっとドリーミーな雰囲気の「Double」、メディティーショナルなベルの音も効果的な「Red Lantern Girls」、カントリー・ロックの衣装をまとったような陽気なポップ・ナンバー「Won’t Be Me」、ファンタジックな夢心地の気分を味わえる「Busted」、初期西海岸風のサイケデリック・ポップな「Down At El Rio」まで、ちょっとかすれたような声で呟くように囁くようなAndy Cabicの歌声と意外にもストレートに構築された音響空間の狭間で、不思議にリラックスした時間を過ごせるアルバムではないかという気がします。それは目の前に広がったモノクロームのスクリーンの一部だけが人工着色されていく様子を眺めている、といったらよいのでしょうか。。。。?
奏でられている音の一つ一つがまるでマシュマロのような感触もするアルバムという気がするのでした。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=7065300&BAB=E
横手焼きそばにハマってしまった片桐と言います。
そもそもソース焼きそばが本流だと思っていたのですが、世間で評判の「元祖 神谷焼きそば屋」さんの一品を食した後はその美味しさに感動いたしました。ストレートの太麺に半熟の目玉焼き、副えられた福神漬といった一皿に独特の甘みのあるソースがからんだそれはどこか懐かしく、郷愁を感じさせるものでした。

というわけで、ClusterのメンバーであるDieter MoebiusとConny Plankがタッグを組んだこの「Rastakraut Pasta & Material」は最近では各々一枚ずつ紙ジャケでリイシューされているようですが、元々オリジナル自体が35分にも満たない作品なのでドイツ盤の2in1CDの方がお買い得と言えますね。毎回何をやらかすか楽しみなMoebius先生なのですが、1980年の「Rastakraut Pasta」ではレゲエに挑戦しています。ダブっぽい妙に脱力感あふれる音響空間の中で、これまた奇妙に楽天的で開放的な電子音が飛び交っております。一方の81年の「Material」ではタイトルに相応しく、まるで思いついたメロをそのままレコーディングしたような生々しくもいかがわしい音が繰り広げております。このねじくれた音の中に身を沈めているとまるで自分の無気力な部分や怠惰な部分が増殖していくような錯覚に陥るのですが、それがまた快楽なのでもあります。タイトル通りニュース音声をSE風にコラージュした「News」、歪みきった音処理が独特の雰囲気をもつ「Rastakraut Pasta」、Holger Czukayも参加したフィードバック+電子音の浮遊のみといった「Feedback 66」、ハーモナイズされたヴォーカルも含めてトロピカルなイメージを無理に演出したような「Missi Cacadou」、現在リリースされても全く遜色のないストレートなエレクトロニカ風の「Two Oldtimers」、テープの逆回転やダブ的処理を施した実験的な(というか、このアルバム自体エクスペリメンタルとしか言いようがありませんが・・・滝汗)「Solar Plexus」、偽ハワイアン風の「Landebahn」とここまでが「Rastakraut Pasta」で、シャープで切れのいいリズムに合わせてギターのカッティングが延々続く、まるで「Zero Set」のロック・ヴァージョンのような「Conditionierer」から始まる「Material」は、続くClusterのスロー・ダヴ・ヴァージョンのような「Infiltration」、アナログ・シーケンス・パターンの繰り返しにレイヤーな音が被っていく「Tollkühn」、 Joy Division + Klusterといった重苦しい電子サウンド(Section 25っぽいという噂も。。。一緒じゃん!)が印象的な「Osmo-Fantor」、ドキュメンタリー番組のサントラにでも使われそうな「Nordöstliches Gefühl」で終わるのですが、何はともあれテクノではない電子音楽の真髄の一端を垣間見るようなこの2つの作品は、もうどうしようもないほどユルいとかしか表現できず、ただただこの二人の音響マジックの前に全面降伏してしまう片桐なのでありました。。。。
そもそもソース焼きそばが本流だと思っていたのですが、世間で評判の「元祖 神谷焼きそば屋」さんの一品を食した後はその美味しさに感動いたしました。ストレートの太麺に半熟の目玉焼き、副えられた福神漬といった一皿に独特の甘みのあるソースがからんだそれはどこか懐かしく、郷愁を感じさせるものでした。

というわけで、ClusterのメンバーであるDieter MoebiusとConny Plankがタッグを組んだこの「Rastakraut Pasta & Material」は最近では各々一枚ずつ紙ジャケでリイシューされているようですが、元々オリジナル自体が35分にも満たない作品なのでドイツ盤の2in1CDの方がお買い得と言えますね。毎回何をやらかすか楽しみなMoebius先生なのですが、1980年の「Rastakraut Pasta」ではレゲエに挑戦しています。ダブっぽい妙に脱力感あふれる音響空間の中で、これまた奇妙に楽天的で開放的な電子音が飛び交っております。一方の81年の「Material」ではタイトルに相応しく、まるで思いついたメロをそのままレコーディングしたような生々しくもいかがわしい音が繰り広げております。このねじくれた音の中に身を沈めているとまるで自分の無気力な部分や怠惰な部分が増殖していくような錯覚に陥るのですが、それがまた快楽なのでもあります。タイトル通りニュース音声をSE風にコラージュした「News」、歪みきった音処理が独特の雰囲気をもつ「Rastakraut Pasta」、Holger Czukayも参加したフィードバック+電子音の浮遊のみといった「Feedback 66」、ハーモナイズされたヴォーカルも含めてトロピカルなイメージを無理に演出したような「Missi Cacadou」、現在リリースされても全く遜色のないストレートなエレクトロニカ風の「Two Oldtimers」、テープの逆回転やダブ的処理を施した実験的な(というか、このアルバム自体エクスペリメンタルとしか言いようがありませんが・・・滝汗)「Solar Plexus」、偽ハワイアン風の「Landebahn」とここまでが「Rastakraut Pasta」で、シャープで切れのいいリズムに合わせてギターのカッティングが延々続く、まるで「Zero Set」のロック・ヴァージョンのような「Conditionierer」から始まる「Material」は、続くClusterのスロー・ダヴ・ヴァージョンのような「Infiltration」、アナログ・シーケンス・パターンの繰り返しにレイヤーな音が被っていく「Tollkühn」、 Joy Division + Klusterといった重苦しい電子サウンド(Section 25っぽいという噂も。。。一緒じゃん!)が印象的な「Osmo-Fantor」、ドキュメンタリー番組のサントラにでも使われそうな「Nordöstliches Gefühl」で終わるのですが、何はともあれテクノではない電子音楽の真髄の一端を垣間見るようなこの2つの作品は、もうどうしようもないほどユルいとかしか表現できず、ただただこの二人の音響マジックの前に全面降伏してしまう片桐なのでありました。。。。
日本人というものはいろいろ肩書きにこだわったりするもので、それこそどんな役職なんじゃい!と思うようなものも少なくないのですが、先日民俗学的調査を依頼するために訪ねた某県の教育委員会では、担当者以外に3人の上司らしき人も同席したのですが、その名刺には各々「課長補佐」「課次長」「統轄主任」と記されていて、誰が一番偉いのじゃ!と思わず叫びだしそうになってしまった片桐と言います。

というわけで世間ではテクノの源流とか、ポスト・ロックの元祖とか呼ばれているジャーマン・エクスペリメンタルの名盤である「Zero Set」の登場でございます。言わずと知れたClusterのDieter Moebius、Guru GuruのMani Neumeier、そしてジャーマン・ロック界の敏腕エンジニアだったCony Plankの3人が創りあげたこのアルバムは、当時最先端のエレクトロニクスと音響処理を施し、徹底的に無駄を省いたようなMoebiusによる無機質ながら浮遊感に富んだ奇妙な電子音にManiの躍動感に満ち溢れた生ドラムが絡んでいくという展開に仕上がっていて、ミニマル的な電子の祝祭と原始的で呪術的な陶酔のリズムが交錯していくといったアシッド感覚あふれるものになっています。抑制されたシーケンスと時には同期し、時にはそれを打破するが如く暴れまわる生ドラムという組み合わせは、これまた名盤と言われるHarmoniaの「Deluxe」でも既に実現しているのですが、Harmoniaで多少は感じたヒューマニズムの破片のようなものはこちらでは全く感じずに、無機質な音の羅列といった印象もあります。もっともそんな無機質にも聴こえる音の数々はManiのドラムによって生命を与えられたといっても過言ではなく、このバタバタとしたドラムの音あってこそ、このアルバムがトランシーに響くのであって、そんなトランス感覚をあえてエレクトロニクスでの表現を試みたと見るべきなのかもしれません。無論あくまでも開放的なものではなく、あくまでもそのトランス感覚は聴くものの内側にどんどん入り込んでいくようなもので、一種瞑想的な雰囲気すら漂っているような気もします。
試聴音源はこちらから
http://www.hmv.co.jp/product/detail/733046

というわけで世間ではテクノの源流とか、ポスト・ロックの元祖とか呼ばれているジャーマン・エクスペリメンタルの名盤である「Zero Set」の登場でございます。言わずと知れたClusterのDieter Moebius、Guru GuruのMani Neumeier、そしてジャーマン・ロック界の敏腕エンジニアだったCony Plankの3人が創りあげたこのアルバムは、当時最先端のエレクトロニクスと音響処理を施し、徹底的に無駄を省いたようなMoebiusによる無機質ながら浮遊感に富んだ奇妙な電子音にManiの躍動感に満ち溢れた生ドラムが絡んでいくという展開に仕上がっていて、ミニマル的な電子の祝祭と原始的で呪術的な陶酔のリズムが交錯していくといったアシッド感覚あふれるものになっています。抑制されたシーケンスと時には同期し、時にはそれを打破するが如く暴れまわる生ドラムという組み合わせは、これまた名盤と言われるHarmoniaの「Deluxe」でも既に実現しているのですが、Harmoniaで多少は感じたヒューマニズムの破片のようなものはこちらでは全く感じずに、無機質な音の羅列といった印象もあります。もっともそんな無機質にも聴こえる音の数々はManiのドラムによって生命を与えられたといっても過言ではなく、このバタバタとしたドラムの音あってこそ、このアルバムがトランシーに響くのであって、そんなトランス感覚をあえてエレクトロニクスでの表現を試みたと見るべきなのかもしれません。無論あくまでも開放的なものではなく、あくまでもそのトランス感覚は聴くものの内側にどんどん入り込んでいくようなもので、一種瞑想的な雰囲気すら漂っているような気もします。
試聴音源はこちらから
http://www.hmv.co.jp/product/detail/733046
ラーメン好きの片桐と言います。
週に1,2度片桐家の前の県道からチャルメラのBGMがドップラー現象を伴って聞こえてくる時があります。それはワゴン車を屋台風に改造したラーメン屋さんで、最近この近辺で商売を始めたのかちょくちょく通るのですが、おいしいかどうか不明なので車を止めて食べてみようという気持ちにはなれず、町内会の顔見知りに訊ねてもこのラーメンを食べたことのある人がおらず、果たしてどれだけ売り上げがあるんだろうと?他人事ながら心配しています。

というわけで、1980年に名盤と称される「Remain In Light」を発表したTalking HeadsのベーシストTina WeymouthとドラマーでTinaの夫でもあるChris Frantzが息抜き的にお遊び感覚で発表した「おしゃべり魔女」がヒットしてしまったために本格的に活動を始めたというエピソードも超有名なTom Tom Clubの1stアルバムです。もう、このジャケットまんまのファンキーで、カリブで、アフロであるというスーパーご機嫌なアッパー・ポップ・サウンドで、夫婦のみならず友人のミュージシャンやTinaの妹LoricとLaura、娘のLaniまで動員してラップやらダブやらまで導入した陽気&能天気サウンドはまさに自由奔放な傑作としか言いようがありませんね。ポップ・ミュージックとしてのラップの普及に一役買った功績は大きいとまで評価されている、まさに“おしゃべり”な大ヒットナンバー「Wordy Rappinghood」、 James Brownに敬意を表したとされ、Mariha Careyの大ヒット曲「Fantasy」の元ネタとして知らない人はいない「Genius Of Love」、ドラム&パーカッションが打ち鳴らされるインター・ルード的な「Tom Tom Theme」からAdrian Belewの十八番である象の鳴き声ギターをフューチャーしてアフロとテクノが融合したようなバランス感覚が楽しい「L'Elephant」、本家Taking Headsっぽいオルタナネイティヴな雰囲気の「As Above, So Below」、タイトなリズムにいろいろな鳴り物やシンセ音が絡んでいく「Lorelei」、80年代ニュー・ウエィヴの典型ともいえそうなギュ〜ンというギターとバタバタ・ドラムの「On, On, On, On」、乾いた音色のギター・サウンドにノイジーな語りが延々続く「Booming And Zooming」、The Driftersの名曲を脱力満点のカリプソ風に仕上げた「Under The Boardwalk」まで,摩訶不思議なシンセ音やパーカッションが随所に隠し味的に織り込まれた楽しさ幕の内弁当的なアルバムなのですが、実は本当はシニカルな視線やインテリジェンスな感性もちらりとうかがえるといった踏み絵的な点も聞き逃してはなりませぬ。。。。。ボーナス・トラックとして「Lorelei 」「Wordy Rappinghood」「Genius Of Love 」の長尺も入ってお買い得なCD仕様がまた嬉しいですね。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=1099344&cart=507324666&BAB=E
週に1,2度片桐家の前の県道からチャルメラのBGMがドップラー現象を伴って聞こえてくる時があります。それはワゴン車を屋台風に改造したラーメン屋さんで、最近この近辺で商売を始めたのかちょくちょく通るのですが、おいしいかどうか不明なので車を止めて食べてみようという気持ちにはなれず、町内会の顔見知りに訊ねてもこのラーメンを食べたことのある人がおらず、果たしてどれだけ売り上げがあるんだろうと?他人事ながら心配しています。

というわけで、1980年に名盤と称される「Remain In Light」を発表したTalking HeadsのベーシストTina WeymouthとドラマーでTinaの夫でもあるChris Frantzが息抜き的にお遊び感覚で発表した「おしゃべり魔女」がヒットしてしまったために本格的に活動を始めたというエピソードも超有名なTom Tom Clubの1stアルバムです。もう、このジャケットまんまのファンキーで、カリブで、アフロであるというスーパーご機嫌なアッパー・ポップ・サウンドで、夫婦のみならず友人のミュージシャンやTinaの妹LoricとLaura、娘のLaniまで動員してラップやらダブやらまで導入した陽気&能天気サウンドはまさに自由奔放な傑作としか言いようがありませんね。ポップ・ミュージックとしてのラップの普及に一役買った功績は大きいとまで評価されている、まさに“おしゃべり”な大ヒットナンバー「Wordy Rappinghood」、 James Brownに敬意を表したとされ、Mariha Careyの大ヒット曲「Fantasy」の元ネタとして知らない人はいない「Genius Of Love」、ドラム&パーカッションが打ち鳴らされるインター・ルード的な「Tom Tom Theme」からAdrian Belewの十八番である象の鳴き声ギターをフューチャーしてアフロとテクノが融合したようなバランス感覚が楽しい「L'Elephant」、本家Taking Headsっぽいオルタナネイティヴな雰囲気の「As Above, So Below」、タイトなリズムにいろいろな鳴り物やシンセ音が絡んでいく「Lorelei」、80年代ニュー・ウエィヴの典型ともいえそうなギュ〜ンというギターとバタバタ・ドラムの「On, On, On, On」、乾いた音色のギター・サウンドにノイジーな語りが延々続く「Booming And Zooming」、The Driftersの名曲を脱力満点のカリプソ風に仕上げた「Under The Boardwalk」まで,摩訶不思議なシンセ音やパーカッションが随所に隠し味的に織り込まれた楽しさ幕の内弁当的なアルバムなのですが、実は本当はシニカルな視線やインテリジェンスな感性もちらりとうかがえるといった踏み絵的な点も聞き逃してはなりませぬ。。。。。ボーナス・トラックとして「Lorelei 」「Wordy Rappinghood」「Genius Of Love 」の長尺も入ってお買い得なCD仕様がまた嬉しいですね。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=1099344&cart=507324666&BAB=E
いつも気になる音盤をピックアップしているmattsmoodさんのBlogでは度々コンピ盤も紹介されているのですが、そこに収録された曲のセレクションがこれまた微妙だったりして、それでいてその曲がどんなんだっけ?と思い出せないという加齢による記憶力消滅に悩んだりもするわけで、またまたTalk Talkの「Such A Shame」が選ばれていたりすると、「It’s My Life」とちゃうんかい!とか突っ込みながらも近所のTSUTAYAでそのコンピをレンタルしようと企んだりする片桐と言います。

というわけで、先日エントリーされていたコンピにも収録されているStephen Duffyがまだ“Tin Tin”という名前でソロ活動していた頃のエレ・ポップの名曲「Kiss Me」も含んだ1stアルバムがこの「The Ups And Downs」です。今となってはこの時期の作品は廃盤?になってしまったのか、このアルバムと次作「Because We Love You」の音源は編集盤でしか聴けないようですが。。。。涙。この2枚で繰り広げられるゴージャスなポップ路線(Ex DuranX2は禁句・・・笑)は現在のフォーキーな彼のイメージからはかなりかけ離れたようにも思えるのですが、やはり彼の書くメロディー・ラインには抗し難い魅力があります。1982年にWEAから発表され、83年にはVirgin、そして85年にはVirgin傘下の10Recordsと3度発表されてようやくヒットした「Kiss Me」から始まるのですが、このアルバム・ヴァージョンはシングルとは異なってArt Of NoiseのJJ.Jeczalikがプロデュースしたこともあって、すっかりAON風になっています。続いてピアノやストリングを効果的に配したファンク・タッチの「She Makes Me Quiver」、乾いたような音色のギターと跳ね回るベースが印象的な「A Masterpiece」、レゲエ風のリズムにリバプール系の歌メロがのったキャッチーな「But Is It Art?」、Booker.T.Jonesがピアノで参加したソウル感覚あふれる「Wednesday Jones」、オケ・ヒットも賑やかなエレ・ポップ(この曲の12インチ盤は最高!)の「Icing On The Cake」、Duffyの魅力の一つであるフニャフニャ声が堪能できる「The Darkest Blues」、後のLilac Timeに通じるようなR&B感覚(ストリングのアレンジはNicky Holland)が煌びやかな「Be There」、ジャジーなピアノ・ソロに導かれて、ブラスやハンド・クラップもフューチャーした70年代ディスコ・タッチの派手なナンバー「Believe In Me」、Cindyという女性に捧げたラブ・ソング「The World At Large Alone」まで、アルバム全体像とすれば結構バラバラのイメージもあるのですが、どこか憎めないようなハート・ウォームな印象を覚えますね。。。。。。
試聴音源はこちらから
http://www.duffypedia.com/discoframe.html

というわけで、先日エントリーされていたコンピにも収録されているStephen Duffyがまだ“Tin Tin”という名前でソロ活動していた頃のエレ・ポップの名曲「Kiss Me」も含んだ1stアルバムがこの「The Ups And Downs」です。今となってはこの時期の作品は廃盤?になってしまったのか、このアルバムと次作「Because We Love You」の音源は編集盤でしか聴けないようですが。。。。涙。この2枚で繰り広げられるゴージャスなポップ路線(Ex DuranX2は禁句・・・笑)は現在のフォーキーな彼のイメージからはかなりかけ離れたようにも思えるのですが、やはり彼の書くメロディー・ラインには抗し難い魅力があります。1982年にWEAから発表され、83年にはVirgin、そして85年にはVirgin傘下の10Recordsと3度発表されてようやくヒットした「Kiss Me」から始まるのですが、このアルバム・ヴァージョンはシングルとは異なってArt Of NoiseのJJ.Jeczalikがプロデュースしたこともあって、すっかりAON風になっています。続いてピアノやストリングを効果的に配したファンク・タッチの「She Makes Me Quiver」、乾いたような音色のギターと跳ね回るベースが印象的な「A Masterpiece」、レゲエ風のリズムにリバプール系の歌メロがのったキャッチーな「But Is It Art?」、Booker.T.Jonesがピアノで参加したソウル感覚あふれる「Wednesday Jones」、オケ・ヒットも賑やかなエレ・ポップ(この曲の12インチ盤は最高!)の「Icing On The Cake」、Duffyの魅力の一つであるフニャフニャ声が堪能できる「The Darkest Blues」、後のLilac Timeに通じるようなR&B感覚(ストリングのアレンジはNicky Holland)が煌びやかな「Be There」、ジャジーなピアノ・ソロに導かれて、ブラスやハンド・クラップもフューチャーした70年代ディスコ・タッチの派手なナンバー「Believe In Me」、Cindyという女性に捧げたラブ・ソング「The World At Large Alone」まで、アルバム全体像とすれば結構バラバラのイメージもあるのですが、どこか憎めないようなハート・ウォームな印象を覚えますね。。。。。。
試聴音源はこちらから
http://www.duffypedia.com/discoframe.html

メキシコといえば、ソンブレロをかぶり、ギターやギタロン、バイオリン、トランペットといった楽器で陽気な音楽を奏でるマリアッチが有名なのですが、実は耳にするマリアッチの大半はアメリアッチだったりするわけで、元々本来のマリアッチにデキシーランド・ジャズのスタイルをミックスさせたのがアメリアッチというもので、そもそもこのスタイルを創りあげたのはオールナイト・ニッポンのテーマ曲でもお馴染みのハープ・アルパートさんで、彼の演奏したファンキーな感覚と豪華なブラス・サウンドは一世を風靡したのでありました。
というわけで、60年代にメキシコで女優兼歌手として活躍したSonia Lopezさんの登場になるわけなのですが、彼女はそういったマリアッチやアメリアッチとは一線を画した通俗的なラテン・ポップスを歌っていました。以前アメリカCBSからクンビアばかりを歌った編集盤が出ていましたが、こちらの編集アルバムでは賑やかなキューバン・スタイルのブラス・セクションを従えて、ちょっとしゃくりあげるようなチャーミングな歌い方でボレーロから、マンボ、サルサ、クンビアといったジャンルを問わない楽しげな歌声を披露してくれています。そもそもメキシコの都市部ではもっぱらボレーロやダンソンといったキューバ系の音楽が好まれてきたという歴史があり、かのPrez=Pradoも晩年はメキシコ・シティーに住んでいたというだけあって汎ラテン的な音楽が好まれる下地は十分あったわけで、おそらく彼女同様の歌い手は相当数いたのではないかと思われます。もっともきっちりと作りこまれたオケと比較すればSoniaさんの歌は素人丸出しで音程にも怪しげなところがあるので、聴いているとまるで場末のキャバレーか温泉場のラテン歌謡ショーのような印象すら覚えるのですが、何故か日本人にとってラテン・ムードは情熱的というよりは猥雑さや下世話さの方が先行することを思えば、いかにもといった感じのラテン・ミュージックな一枚なのです。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=6683039&BAB=M
統一地方選挙の年なので、選挙ネタを少々。
「明るい街作り」を公約に掲げたある市会議員は、その約束通り今まで暗くて評判の悪かった舗道に街路灯を設置したために女性からの得票数が増えてみごとに再選を果たしたのですが、その彼がファーストを守っている時にレフトを守っていた片桐と言います。
というわけで、いつもよく行く喫茶店のマスターから教えてもらったのがジャマイカのヴィブラフォン奏者Lennie Hibbertさんが1969年に発表した「Creation」です。

この方はロック・ステディ〜レゲエ界では名が知られているようなのですが、レゲエの世界でヴィブラフォンを演奏するのは彼だけのようらしく、またLennieさん自身もこの「Creation」と続編の「More Creation」しかアルバムは発表していないようです(セッションには多数参加しているようですが・・・)。Skatalitesのメンバーを輩出した事でも有名なAlpha Boys Schoolの教師でもあったLennieさんなのですが、このアルバムで聴かれる音は、スカやレゲエの典型的なリズムの上を優しく響き渡るヴァイブとJackie Mittooの奏でるオルガンの音がまろやかに溶け合いながら競演しているという非常にクールな印象をうけるもので、インストながらもちろん歌心あふれるメロをふんだんに織り込みながら、トロピカル・フレイヴァーあふれる作品に仕上げています。こういった音楽はリズムのボトム感も重要なのですが、活動拠点でもあるStudio Oneの制作ということもあってしっかり骨太のリズムを感じさせてくれ、その上をヴァイブが自由闊達に飛び交うといったさまは、ついエキゾ〜モンド界の巨匠Martin Dennyさんの名前が浮かんでしまいます。事実、ちょっと中華風にも聴こえるメロやアフロやマンボの借用と、ジャマイカンに限定されない発想でのインスト音楽としての旨みもまた凝縮された楽園的音楽の一枚なのであります。
試聴音源はこちらから
http://www.reggaerecord.com/jp/description.php?code=70367
「明るい街作り」を公約に掲げたある市会議員は、その約束通り今まで暗くて評判の悪かった舗道に街路灯を設置したために女性からの得票数が増えてみごとに再選を果たしたのですが、その彼がファーストを守っている時にレフトを守っていた片桐と言います。
というわけで、いつもよく行く喫茶店のマスターから教えてもらったのがジャマイカのヴィブラフォン奏者Lennie Hibbertさんが1969年に発表した「Creation」です。

この方はロック・ステディ〜レゲエ界では名が知られているようなのですが、レゲエの世界でヴィブラフォンを演奏するのは彼だけのようらしく、またLennieさん自身もこの「Creation」と続編の「More Creation」しかアルバムは発表していないようです(セッションには多数参加しているようですが・・・)。Skatalitesのメンバーを輩出した事でも有名なAlpha Boys Schoolの教師でもあったLennieさんなのですが、このアルバムで聴かれる音は、スカやレゲエの典型的なリズムの上を優しく響き渡るヴァイブとJackie Mittooの奏でるオルガンの音がまろやかに溶け合いながら競演しているという非常にクールな印象をうけるもので、インストながらもちろん歌心あふれるメロをふんだんに織り込みながら、トロピカル・フレイヴァーあふれる作品に仕上げています。こういった音楽はリズムのボトム感も重要なのですが、活動拠点でもあるStudio Oneの制作ということもあってしっかり骨太のリズムを感じさせてくれ、その上をヴァイブが自由闊達に飛び交うといったさまは、ついエキゾ〜モンド界の巨匠Martin Dennyさんの名前が浮かんでしまいます。事実、ちょっと中華風にも聴こえるメロやアフロやマンボの借用と、ジャマイカンに限定されない発想でのインスト音楽としての旨みもまた凝縮された楽園的音楽の一枚なのであります。
試聴音源はこちらから
http://www.reggaerecord.com/jp/description.php?code=70367
気分転換の意味も兼ねて料理をする片桐と言います。
とは言うものの、さほど手をかけて作るのではなくサラリと30分以内程度のものが主流です。例えば旬のタラや鶏のモモ肉を卵の衣でふわっと揚げて、赤ワインマヨネーズ・ソースやはちみつクリーム・ソースをまぶすといった具合に、どちらかというとありふれた材料に副えるソースやスープといったものに凝ったりします。

というわけで、ハンガリーのシンフォニック・ロック・グループのEastが1982年に発表した2ndアルバムの「Hüség」です。シンフォニック系といっても重苦しさはさほど感じられず、どちらかと言えばフュージョンの要素も織り込んだ割とライトな感じなのですが、スリリングなアンサンブルと起承転結を明瞭に配置した曲作りといった部分は決して同時代の西欧の諸バンドに劣るものではないと思います。メタリックなギターとシンセが交錯しながら一つのフレーズのヴァリエーションを展開させながら加速していく「Hüség」、ドラマティックなファンファーレ風のシンセ〜言葉の響きもあってやや重苦しく感じられるヴォーカル・パートを経て、泣きのギター・ソロ〜転がるピアノをも加えたヴォーカル〜ストリング+ブラスといった感じのシンセと一つの曲の中に様々な要素を織り込みながら空間的な拡がりをも表現したような「Keresd Onmagad」、ギターとシンセが交互に疾走感あふれるソロを奏でながら展開していくジャズ・ロック風の「Magikus Ero」、ギターのアルペジオに導かれての切なげなヴォーカルと荘厳かつ華麗ともいえそうなアンサンブルの対比が印象的な「En Voltam」、ジャジーでスペイシーにも感じられるシンセのソロ〜ギターとのユニゾンといったフュージョン・タッチのインスト小品「A Vegtelen Ter Orome」、ゆったりとしたテンポで進むバラードに各楽器が彩りを添えていき、終盤は部厚い音のシンセが主導権を握るく展開の「Ujjaszuletes」、ポップな中にも音色に配慮した重厚なシンセが曲の全体をエレクトリカルに支配する「Ablakok」、重苦しくも演劇的な曲調のヴォーカル・ナンバー「Vesztesek」、アンビエント・ポップを思わせるようなキーボードとエレ・ピの絡みがフュージョン風に繰り広げられていく「Felhokon Setalva」、エキゾティックな雰囲気も漂わせたシンセのリフレインも印象的なドラマティックでメロディアスな(ちょっとCamelぽいかも・・・汗)「Varni Kell」、モノクロームな印象をうける静かなバラード・ナンバーの「Merenges」まで小粒ながらも丁寧な演奏を聴くことの出来るアルバムだと思います。時代的にもカテゴリー的にもこのアルバムはプログレに分類されていますが、現在発表されたとしてもポスト・ロック的なアプローチという面を考慮に入れると全く遜色のない作品と言えるのではないでしょうか。。。。。
とは言うものの、さほど手をかけて作るのではなくサラリと30分以内程度のものが主流です。例えば旬のタラや鶏のモモ肉を卵の衣でふわっと揚げて、赤ワインマヨネーズ・ソースやはちみつクリーム・ソースをまぶすといった具合に、どちらかというとありふれた材料に副えるソースやスープといったものに凝ったりします。

というわけで、ハンガリーのシンフォニック・ロック・グループのEastが1982年に発表した2ndアルバムの「Hüség」です。シンフォニック系といっても重苦しさはさほど感じられず、どちらかと言えばフュージョンの要素も織り込んだ割とライトな感じなのですが、スリリングなアンサンブルと起承転結を明瞭に配置した曲作りといった部分は決して同時代の西欧の諸バンドに劣るものではないと思います。メタリックなギターとシンセが交錯しながら一つのフレーズのヴァリエーションを展開させながら加速していく「Hüség」、ドラマティックなファンファーレ風のシンセ〜言葉の響きもあってやや重苦しく感じられるヴォーカル・パートを経て、泣きのギター・ソロ〜転がるピアノをも加えたヴォーカル〜ストリング+ブラスといった感じのシンセと一つの曲の中に様々な要素を織り込みながら空間的な拡がりをも表現したような「Keresd Onmagad」、ギターとシンセが交互に疾走感あふれるソロを奏でながら展開していくジャズ・ロック風の「Magikus Ero」、ギターのアルペジオに導かれての切なげなヴォーカルと荘厳かつ華麗ともいえそうなアンサンブルの対比が印象的な「En Voltam」、ジャジーでスペイシーにも感じられるシンセのソロ〜ギターとのユニゾンといったフュージョン・タッチのインスト小品「A Vegtelen Ter Orome」、ゆったりとしたテンポで進むバラードに各楽器が彩りを添えていき、終盤は部厚い音のシンセが主導権を握るく展開の「Ujjaszuletes」、ポップな中にも音色に配慮した重厚なシンセが曲の全体をエレクトリカルに支配する「Ablakok」、重苦しくも演劇的な曲調のヴォーカル・ナンバー「Vesztesek」、アンビエント・ポップを思わせるようなキーボードとエレ・ピの絡みがフュージョン風に繰り広げられていく「Felhokon Setalva」、エキゾティックな雰囲気も漂わせたシンセのリフレインも印象的なドラマティックでメロディアスな(ちょっとCamelぽいかも・・・汗)「Varni Kell」、モノクロームな印象をうける静かなバラード・ナンバーの「Merenges」まで小粒ながらも丁寧な演奏を聴くことの出来るアルバムだと思います。時代的にもカテゴリー的にもこのアルバムはプログレに分類されていますが、現在発表されたとしてもポスト・ロック的なアプローチという面を考慮に入れると全く遜色のない作品と言えるのではないでしょうか。。。。。

カリブ海の古層の音楽を探求しているといろいろと面白いものが見つかって、そのリゾート気分的な開放的で明るい音楽性と並行して、そこにはアフリカやアジアからの移民の哀しい歴史というものも同時に存在していることは忘れてはならないわけで、常にそういった視点も兼備してこの方面の音楽を聴く必要はあるのだと思います。
というわけで、フランス領ギアナ(Guyane française)にはやはりクレオール系の音楽やズーク、あるいはコンパに近い音楽があって、それはまた各々のオリジナルのものとはちょっと異なった感覚の妙に渋みのある味わい深い演奏で心惹かれたりするのですが、このLa Lyre Cayennaiseはそんな中でもグァドループやマルチニークといった地域との共通性を感じます。ジャケット写真に映っている方々がメンバーだと思われますが、かなり年季の入った方々のようで、ブックレットの簡単な解説によれば、このLa Lyre Cayennaiseが結成されたのは1950年で、ギアナ地方のアフリカ色が濃い伝承曲やフォルクローレ、あるいはクレオール系の音楽を演奏し続けてきたようです。どうも彼らはプロではないようで、MalavoiやTarabの楽団のように何かの機会に集まって演奏活動をするようで、その素朴みあふれる温かい演奏が心にじんわりと染み入ってきます。バンジョー、ギター、フルート、クラリネットにパーカッションという編成に時折男女の歌がはいるという編成で奏でられる曲の数々は、ビギンだったりマズルカだったりするわけなのですが、パーカッションの入り方が妙にアフリカぽかったり、マルシャ=ビギンというスタイル?が曲に付されているようにマーチ風のリズムからビギンに変化していくもの、あるいはボレーロ・ルンバといったキューバン・スタイルの翻訳ともいえるような演奏も聴くことが出来ます。またアフリカ西部のChantに類似したヴォーカルやスークース風のギターのアルペジオといった具合にこの地域の負の歴史をそのまま音楽に転化したような事実も聴き逃せません。
明るさを感じさせるメロディーの中に一瞬感じる翳りのようなもの。それは厳しく苦しい日常生活の中で、わずかながらの光を求めていたことの反映なのかもしれません。
1999年発表のこのアルバム今では廃盤なのかもしれませんが、是非一聴をお薦めします。

ころんさんから更なる突込みが入ってしまい、Nemours Jean Baptisteの名前を出してしまったら、Welbert Sicotに触れないわけにはいかないでしょう。
彼もまたハイチのサックス奏者兼作曲家で、50〜60年代にはBaptisteと人気を二分したほどの実力の持ち主でした。彼もまたメランゲの不遇時代からモダン・メレンゲの流行時代を経験し、独自のスタンスを生み出そうと苦心したのですが、Bapstieがメレンゲ本来の優雅さを強調すべきアコーディオンを積極的に導入したのに対して、Sicotはホーン・セクションを全面的に打ち出すことによって新たなスタイルを創生させました。彼は自分が生み出したスタイルをCadence Rampaと名づけたのですが、Compas DirectとCadence Rampaの間にはリズム的にはさほど差が感じられないのは元々ハイチ固有のメランゲの発展形式であるという以上致し方ないと言うべきでしょう。で、このアルバムで聴かれる彼のオルケスタの演奏はBaptisteのものと比較すればかなりダイナミズムに富んでいるような気がしますが、無論それはかなりキューバン・スタイルを意識したホーン・セクションのためなのですが、コンガ奏者が二人いるという点もまた挙げられると思います。小刻みなポリ・リズムの間を縫うようにホーン・セクションが煽り立てるようなフレーズを奏でていくのですが、そういった中にもやはりエレガントな雰囲気が漂うのは二人の音楽に共通する点ではあります。Sicotも確かに人気があったようなのですが、60年代に入るとBaptisteの方が上だったようで、それを打開すべく彼はサルサのスタイルまで借用したり、「Cherry Pink and Apple Blossom White」や「My Way」といったスタンダード曲を吹き込んだ自身名義でのソロ・アルバムを発表したりといろいろと試行錯誤を繰り返したようです。
個人的にはどちらも好きなのですが、雑食性を目指したSicotよりはBaptisteの方に軍配があがると思います。
試聴音源はこちらから
http://www.deltarecord.com/cds/webert_sicot_jetrampa.htm

ころんさんからコメントをもらったので聴きなおしてみる。
ハイチのサックス奏者兼作曲家のNemours Jean Baptisteの復刻アルバムである。
この人の名前はMini All Starsの「Pure Gold」を初めとするトリビュートで知っていたし、90年代にはボンバ・レコードから2in1のようなCDも出ていた筈だと思う。
ハイチの音楽といえば前述のMini All StarsやTabou Comboといったグループが有名であるが、そんな彼らの音楽の根幹を成しているCompas(あるいはCompas Direct)というスタイルを生み出したのがこのNemours Jean Baptisteである。元々ハイチではメランゲと呼ばれる優雅でエレガントなノリのスタイルの音楽が主流であったようだが、1950年代になるとドミニカのモダン・メレンゲがハイチ国内を席巻するようになった。メレンゲに人気を奪われた音楽シーンにおいて独自のスタンスを生み出そうとした流れから登場したのがコンパで、初期の頃のBaptisteのオルケスタの録音を聴くとマンボ風のキューバン・スタイルを借用しながらもメランゲ独特のゆったりとした粘り腰を感じる様な反復リズムによる演奏を聴くことができる。更にこの「Ti Carole」が録音された60年代にはトランペット2本と、アルト&テナー・サックス、アコーディオン、ウッド・ベース、パーカッションを兼ねるヴォーカルといったビッグ・バンド的な楽器編成、あるいはティンバレースやエレキギターといった楽器でのアンサンブルを展開していたようである。彼が最終的に完成させたコンパのスタイルではアコーディオンがアンサンブルの主体をなし、アクセント的にホーン・セクションが挿入されるという点、そしてハイライフやリンガラに通じるザイールのアフリカン・ポップ的なギターが特徴的であろう。
またヴォーカルの声も含めてややロマンティックでエレガントな雰囲気が漂っているのも彼のコンパの最大の魅力であると思われる。カリブ海の波を連想してしまうようなゆるやかに絡み合うリズムは一種幻惑的な雰囲気に包まれてしまう。延々続くこのリズムに身を委ねるのはアレの快感にも似ている。。。。。
試聴音源はこちらから
http://www.checkoutcds.com/music/band.php?BandID=23

ヴェネツィアのおっちゃんがある本の中で「黄金の国ジパング」などと書いたものだから、一攫千金を夢みる奴らが雨後の筍の如く、そのジパングなる国を目指して旅立ったりしたのだが、ジェノヴァ出身のある親方もそんな一人で、わざわざカスティーリヤの女王様に媚びてまで航海して到着した結果が悲劇の始まりというわけで、そもそも本人は自分の到達した地が最後までアジアの一部と信じて疑わなかったというアホさ加減は置いといて、そのためにこの地域が未だに西インド諸島と呼ばれているというのは歴史的な事実なのである。で、西インド諸島という名前に違わず、この地域にはインド系や中国系の移民の子孫もまた多く、特にTrinidad and Tobagoではこういった住民が人口の4割近くも数えるとあっては、当然の如くこの国の文化の担い手としても重要な役割を占めていたりもする。
というわけで、Sundar Popoさんの登場になるわけなのだが、この方はインド音楽をベースにしたポップ・ミュージックであるChutneyの創始者とされている歌手である。Trinidad and Tobagoといえば、言わずと知れたカリプソの国なのであるが、カリプソをよりアグレッシブにアレンジメントしたダンス・ミュージックがソカである一方で、インド系や中華系の住民の間ではやはりカリプソにアジア的なエッセンスをまぶしたChutneyというジャンルが人気を博している。俗にインディアン・カリプソなどと呼ばれているようであるが、ソカの跳ねるようなリズムにシタールやタブラ、ハルモニウムといったインド独特の楽器が交錯するその音は、エキゾでありトロピカルであるといった具合の極上の楽園的な音楽に仕上がっているのである。何はともあれ、スティール・パンが連打され、アフロ・パーッカションとタブラが乱れ打たれ、リンガラ・ギターがかき鳴らされる中からのんびりとした歌声のSundar Popoさんがインド歌謡風のメロディーを飄々と歌っていくこのベスト盤とその続編の2枚は、エスノ音楽好きも、ラテン音楽好きも持っていて損はない一枚であると思うのである。ま、時代的にズーク風の音を使っている雑食性もまた一興ではある。
試聴音源はこちらから
http://www.ecaroh.com/indian_music/sundarpopo_goldenhits.htm
http://www.ecaroh.com/indian_music/sundarpopo_greatesthitsvol2.htm

先日はマルチニクのクラリネット奏者Alexandre Stellioさんをピック・アップしましたが、今回は同じクラリネット(時にはサックスも)奏者のMichel Godzomさんが伝統と革新を見事にミックスさせた1990年に発表したアルバムを。。。
この人の作品は以前国内盤で「マルチニークの哀愁」というタイトルのCDが発売されていましたが、そちらの方はタイトルに相応しく、ビギン魂そのままにビギンやワルツ、マズルカといったクレオール音楽をストリングの伴奏を従えてまるでブラジルのショーロの如き優雅さあふれる演奏で披露していましたが、この作品では当時流行だったズーク(というよりはKassav’)を意識したような鮮やかなシンセと共にスピード感あふれるマズルカ・クレオールやビギンを聴かせてくれます。無論本流であるゆったりとした横揺れするような感覚を忘れることなく、あくまでもクレオール音楽としての基礎を踏まえてのズーク的な解釈であろうと思われますが、それは形は違えどもKaliが表現しようとしていたマルチニクに生きる人間の根っこのようなものをMichel Godzomさんもまた求めていたためではないかと思います。
一時期ズークがブームになり、この周辺の音楽ではこぞってDX-7の煌びやかな音色を使った強烈なダンス・ミュージックが隆盛を極めたのですが、それも一過性のもので長続きせず、ズークそのものがまろやかな感触のものに変貌していったことを思えば、Kassav’の功罪は良くも悪くも大きいとしか言えないのですが、その彼ら自身「Majestik Zouk」で原点回帰を目指したのですから「Vini Pou」が世界に与えた衝撃はまさに熱病のようなものだったのでしょう。Michel Godzomさんも流行りの音を使ってみました!という程度でこのアルバムを作ったのではないかと感じるのですが、その極彩色のシンセ音の根底にはアフロ的な要素が潜んでいたり、心地よいパーッカションや女性コーラスが響くといった具合にあくまでも自身のルーツには忠実な演奏を繰り広げています。
彼の奏でるクラリネットの響きはA.Stellioさんのように野趣あふれるものではなく、かぎりなく繊細でノスタルジックなもので、どこか心の琴線に触れるものがあるのです(A.Stellioさんの音とは別次元という意味です)。

このCDはずいぶん前に今は無き六本木WAVEで購入したものです。ネットで検索してもヒットしなかったので画像は彼の他のLP作品のものを掲示しました(謝X100)。
インドネシアのポピュラー音楽の基盤にはジャズやハワイアン、ラテンの影響がうかがえるのは承知のことだと思いますが、このRudi Wairataさんはインドネシアを代表するハワイアン・スティール・ギター奏者とのことで、1929年にインドネシア東部のTernateで生まれた彼は、幼い頃からSol HoopiiやAndy Iona.といったハワイの大物アーティストのレコードを聴き、スティール・ギターをほぼ独学で学んだようです。1950年前後から自身のグループを結成し、ラジオ番組に毎週出演したり、オランダにツアーに出かけたりと一時期は多忙なスケジュールを過ごしていたようですが、1955年頃にThe Amboina Serenaders名義で発表した「Goro Goro Né」「Sarinandé」といった曲の演奏は、当時のオランダのスティール・ギタリストに大変な衝撃と影響を与えたとのことです(この時期の演奏はDureco 1153312盤でCD化されています)。彼は多くの名義でのグループを率いていたようですが、この「The Beauty Of Indonesia」は晩年彼が活動拠点をオランダに移し?NEW POLYNESIANSというグループを率いていた1976年に録音されたもののようで初期の頃の典型的なハワイアン・ミュージックとは異なった甘口の歌が多くなってきたような印象もありますが、クロンチョンに通じるような優雅でゆったりとしたメロディーやアンボイナ地方の民謡を独自にアレンジしたトロピカル・ムードあふれる曲やインドネシア生まれという彼の出自をヨーロピアン感覚で表現したオリジナル曲といった具合に、伸びやかで大らかな演奏を楽しむことができると思います。どことなく南国ムードを感じるのはやはりイスラム色が薄い東部出身のせいでしょうし、リズムの使い方などは一瞬PNGに近い印象もあります。入手は今となっては困難かもしれませんが見かけたら是非どうぞ。
彼の録音が1曲YouTube.comにエントリーされています。
http://www.youtube.com/watch?v=Wns1X3s3uzM

Sonja Kristinaを擁する英国のプログレ・バンドCurved Airが1972年に発表した3rdアルバムです。francofrehleyさん主宰のBlog「Progressive Café」では「Curved Airの魅力、『らしさ』はSonja Kristinaの妖しいヴォーカルと合わせて、Way&Monkmanが紡ぎだす70年代初期英国アンダーグラウンド臭が充満した荒削りなサウンドだと思っています。あのサウンドとヴォーカルのコンビネーションこそがCurved Airそのものだと思います。」と評されていますが、確かにこのアルバムでは幅のある音楽的な要素をプログレッシヴ・ロックというイディオムで包み込んだようなサウンド・ワークとSonja Kristinaのリリカルでファンタジックな感性がバランスをギリギリのところで保っているという印象があり、その危うさの振幅がこのアルバムの最大の魅力ではないかと思います。ロマンティックな中にも歴史上悲劇的な人生を遂げた主人公の感情を織り込んだようなSonjaのヴォーカルが素晴らしい「Marie Antoinette」、アコ・ギ、フルートヴァイオリンを従えたクラシカルなタッチのフォーク・ソング風の「Melinda」、低音で囁き、呟くようなヴォーカルをブラスとピアノが交錯しながらポップスのタームで彩りを添えていく 「Not Quite The Same」、Darryl Wayのヴァイオリンをフューチャーし、中盤では変拍子と不協和音による不安げな展開も聴かせるインスト曲「「Cheetah」、F.Monkmanの趣味が出た?シーケンス・パターンのみのバロック風の電子音楽作品の「Ultra-Vivaldi」、ファンク・タッチの歌メロにトラッド/クラシカルなヴァイオリンやハモンド・オルガンが色彩を加えていく「Phantasmagoria」、これまたF.Monkmanの手によるハーモナイズ〜電子変調をメインにしたコラージュ的な音響的な作品「Whose Shoulder Are You Looking Over Anyway ?」、ゲストのFrank Ricottiが奏でるマリンバやシロフォン、ブラス・セクションの華やかな音色とミニマルなフレーズを疾走するMick Wedgewoodのベースライン、流れるようなD.Wayのヴァイオリンがテクニカルでアンサンブルを展開しながら、終盤はジャジーな雰囲気を一変させるギターの鋭角的なヴォルテージで締めくくる 「Over And Above」、エスノ〜ラテン的な感覚も楽しいラウンジ・タッチの「Once A Ghost, Alway A Ghost」まで、いわゆるプログレというイメージからはちょっと距離を置いた感もあるニュアンスをもった作品ではないかと感じます。そうした背景にはやはりSonja Kristinaのヴォーカリストとしての限界があるのではないかとも思えます。声域・声量共に狭いSonjaのヴォーカルを生かすためにアコースティックな要素を組み込んだり、またシンプルな歌メロをバッキングするかのごときピアノの使い方といった具合に様々な工夫がなされているとは思います。ただ、逆にそれが仇となってある意味に於ける従来のロック/ポップスという定型的な枠組みの中での閉塞感のようなものも覚えてしまいます。それがアルバムの中でのインスト・パートに顕著のように極度の前衛趣味に走った理由ではないかと思います。言い換えればSonjaというキャラを使いこなすことが出来なくなってしまったということにつながってくるのではないでしょうか?
このバンドの見出した答えが次の「Air Cut」ではっきりしてくると思います。

こういうアルバムが国内で発売されるということは大変嬉しいことです。
Alexandre Stellioはマルチニク諸島出身のクラリネット奏者兼作曲家で、俗にBiguineの父と称されていて、80年代後半から90年にかけて流行したワールド・ミュージック・ブームの折に国内でも紹介されたKALIやMalavoiのメンバー達がもっとも尊敬し、影響を受けたアーティストとされています。煙草のCMで流れていたバンジョーが印象的だったKALIの「Conversation」や「Ti Citron」を記憶している方もいると思いますが、それらの曲を作ったのがこのAlexandre Stellioなのです。彼の演奏はいくつかの編集盤で聴くことが可能でしたが、今回オルター・ポップから発売されたこの作品は1929年10月の処女録音から、1931年11月までの録音を録音順に40曲収めた2枚組で、渡仏前後のまだ洗練されていない時期の野性味あふれるクラリネットを中心としたビギンやマズルカ・クレオールの演奏が収められています。
彼の演奏していた、ビギンとは19世紀中頃にハバネーラやカドリーユといったヨーロッパ系の舞曲とアフロ=カリビアン的なリズムが融合してできたもので、そのエキゾチックな魅力のために1920年代後半のパリのダンス・ホールでは一躍大流行したようです。30年代になって彼をはじめとする幾人かのマルチニク出身のアーティストが渡仏したことによってビギンは黄金時代を迎えました。折からその頃パリに滞在していたCole Porterがその熱気に魅入られて名曲「Begin The Beguine」を作曲したというエピソードは有名ですよね?もっともPorterの曲は名前こそビギンですが、ボレーロに近いパチもんなのもまたご存知だと思いますが。。。。
とにかく、このアルバムではAlexandre Stellioと彼が率いたSon Orchestre Creoleの演奏がたっぷり楽しめますが、彼の奏でる素朴で人懐こく、時には踊るように、時には物憂げに響く美しいクラリネットの音とシンコペーションを利かせたアンサンブルは洗練されていない時期のものとはいえ、どこか品の良さのようなものを覚えます。特にピアノの伴奏をともなった曲ではそのリズムの跳ね具合はラグ・タイムに近く感じられます。初期のラグ・タイム系の有名ミュージシャンの中にもマルチニク出身者が多かったらしいので、クレオール音楽としてビギンとラグ・タイムは兄弟のようなものだったのかもしれません。そういったことを念頭にいれながら聴くとまた違った味わいも出てくると思います。
SP盤からの復刻なので音質的には厳しい部分もあるとは思いますが、そんなノイズの彼方から聴こえてくるダイナミズムというか、生命の鼓動のようなものを感じる不思議な感触のアルバムだと思います。
安らぎたい方は是非一聴してみてください。
試聴音源はこちらから
http://www.metacompany.jp/cd/alterpop/WCCD/WCCD41016.html
最近気が滅入っている片桐と言います。
そんな時にはスペインの電子ノイズ系ユニットであるESPLENDOR GEOMETRICOのCDを聴くと結構気分も上向きになってくるような気がします。このユニットはArturo Lanz、Gabriel Riaza、Juan Carlos Sastreという3人組で80年頃から活動を開始していたようで、初期の頃はDevoやKraftwerkといったテクノ・ポップに影響を受けたと思われる反復するリズム・ボックスに電子ノイズや様々なコラージュが組み合わされるというジャーマン・ノイズっぽい音でしたが、徐々に規則的な金属系インダストリアル・サウンドを前面に打ち出すようになり、より簡素化したチープなエレクトロ&インダストリアルなビートが延々続くといったまさにテクノイズといった音に変貌していきました。そういった音楽性の変化に伴って、現在のメンバーはArturo Lantzのみになり、ライブの際にはサポートを得て活動しているようですが、それと前後するように1990年からはMost Significant Beatというユニット名でメカテクノ・ミュージックの方面にも進出しているようです。最近では極めて入手困難とされていた初期音源が3枚組LPで再発されるといった具合に多少は注目を浴びているような傾向もありますが、その独特の錆びたような音色はやはり一般向けとは言いがたいですね。

この1988年に発表された「Mekano Turbo」ではそんな彼らの音楽性の過渡期を象徴するが如く、従来のマシーナリーなビートを基盤としながらも、大げさとも思えるなヴォイス・パートやアラビア〜イベリア半島のトラディショナルな音楽のコラージュ、それにトランスやトライバル・テクノに通じるようなリズムの導入と、かなり大胆なアプローチを試みていたりするのですが、根底にある赤錆を撒き散らかしたようなインダストリアル感覚は純粋に保持しているといった印象のある名作に仕上がっています。APHEX TWINも影響を受けたといっても過言ではない早すぎたイベリア半島の未来派音楽ともいえる彼らの作品は前述したように時期によって多少の差異はあるものの、どの作品からも全くポジティヴな感情というものが感じられないのも、また戦略の一つなんだろうとついつい感心してしまいます。
試聴音源はこちらから
http://www.geometrikrecords.com/esplendor/i_index.htm
そんな時にはスペインの電子ノイズ系ユニットであるESPLENDOR GEOMETRICOのCDを聴くと結構気分も上向きになってくるような気がします。このユニットはArturo Lanz、Gabriel Riaza、Juan Carlos Sastreという3人組で80年頃から活動を開始していたようで、初期の頃はDevoやKraftwerkといったテクノ・ポップに影響を受けたと思われる反復するリズム・ボックスに電子ノイズや様々なコラージュが組み合わされるというジャーマン・ノイズっぽい音でしたが、徐々に規則的な金属系インダストリアル・サウンドを前面に打ち出すようになり、より簡素化したチープなエレクトロ&インダストリアルなビートが延々続くといったまさにテクノイズといった音に変貌していきました。そういった音楽性の変化に伴って、現在のメンバーはArturo Lantzのみになり、ライブの際にはサポートを得て活動しているようですが、それと前後するように1990年からはMost Significant Beatというユニット名でメカテクノ・ミュージックの方面にも進出しているようです。最近では極めて入手困難とされていた初期音源が3枚組LPで再発されるといった具合に多少は注目を浴びているような傾向もありますが、その独特の錆びたような音色はやはり一般向けとは言いがたいですね。

この1988年に発表された「Mekano Turbo」ではそんな彼らの音楽性の過渡期を象徴するが如く、従来のマシーナリーなビートを基盤としながらも、大げさとも思えるなヴォイス・パートやアラビア〜イベリア半島のトラディショナルな音楽のコラージュ、それにトランスやトライバル・テクノに通じるようなリズムの導入と、かなり大胆なアプローチを試みていたりするのですが、根底にある赤錆を撒き散らかしたようなインダストリアル感覚は純粋に保持しているといった印象のある名作に仕上がっています。APHEX TWINも影響を受けたといっても過言ではない早すぎたイベリア半島の未来派音楽ともいえる彼らの作品は前述したように時期によって多少の差異はあるものの、どの作品からも全くポジティヴな感情というものが感じられないのも、また戦略の一つなんだろうとついつい感心してしまいます。
試聴音源はこちらから
http://www.geometrikrecords.com/esplendor/i_index.htm















