
たまにはプログレッシヴ・ロックなどを。。。。
ブラジルのRECORDANDO O VALE DAS MAÇÃSが1993年に発表した、このリンゴのジャケットのアルバム「As Crianças Da Nova Floresta」はシンフォニックな要素とギター、キーボード、フルートが絡みあうインター・プレイに富むジャズ・ロック風のアルバムとして高い評価を得ていると思います。
フルートとヴァイオリンが軽やかに絡みながらのアコースティックなリリシズムの前半部ととラテン風味も感じられるアコ・ギとシンセがドリーミーな展開をみせる後半部の素晴らしい前後のコントラストによく歌うギターが要所を締めたプレーを聴かせる 「Remembering Apples Valley II」、ファンタスティックなイントロからフュージョン・タッチのギターが心地よいメロディーを奏でるパートに引き継がれ、その後にフルート、ストリング・シンセ、ギターといったカラフルなアンサンブルがちょっと性急とも思えるリズム隊に煽られるかのように様々に表情を変えていくオリジナルLPからの再演らしい 「The Children Of The New World」、 前半の都会的なセンスを兼ね備えたロマンティックなフレーズから一転してアンビエント系に通じるようなシンセのソロを挟んでドラムのロールと共にエモーショナルに頂点を目指していくきわめて映像的な「Water」、ノスタルジックな印象のあるフレーズを丹念に組み合わせながら、そこにラテン風味やエスノ風味を加味した表現力の広がりが印象的な「The Hermit」、フォルクローレを連想させるフルートのソロから、ムーディーなホーンやフュージョン寄りのギターといったジャズ・ロック的な感覚に満ちたギタリストFernando Pachecoのソロからの収録ナンバー「Himalaia」、アコ・ギのアルペジオにのせて、静謐なメロをフルートが紡いでいく小品 「Seeds Of Light」まで、全編インスト曲ながら繊細さを感じさせる快いメロディーが次々に現れては次のフレーズに継承されていくというスリリングな一面もある曲ばかりが収められています。
このアルバム、実はオリジナルではなく編集盤なのですが、そういったことを一切感じさせない統一されたヴィジョンのようなものが提示されているような気になってきます。演奏そのものは決してテクニカルなことをやっているというわけでもないのですが、そんな自分たちの世界観をデリケートにナチュラルな姿勢で表現したような印象を覚えます。
個人的にはお気に入りの1枚で、常に車に積んでおります(笑)。
彼らの公式HPからちょっとだけ試聴できます(モノ音源ですが。。。)
http://www.progressiverockbr.com/recaudio.htm
その店は商店街の一角の雑居ビルの地下1Fにあった。
地方都市にしては割と洒落たセンスだったと思う。
その人と会うときは大抵その店だった。
今は珈琲と言えばモカ・マタリなのだが、当時はその店の深煎りされたマンダリンの苦味と酸味のバランスとコクの豊かさにハマっていたのである。もっとも珈琲よりは紅茶が好きなその人はいつもアール・グレイを飲んでいた。

Yesの「Drama」というアルバムはプログレ好きにとって踏み絵のような作品である。もちろんJon Anderson不在で、その代わりにTrevor HornとJeff Downesが加わったという点である。
確かにJonの持っていた叙情性やリリシズムのようなものは欠如しているだが、The Bugglesの二人が持ち込んだポップなアプローチと従来のスリリングでテンションの高い曲のダイナミズムがうまくまとめあげられていると思う。
Steve Howeが水を得た魚のようにギターを弾きまくる重厚なテクノ叙事詩の「Machine Messiah」、The Bugglesのアルバムの中に入っていても不思議ではないポップな小品「White Car」、ドラムの音とベースに導かれて絡みつくシンセサイザーの煌びやかな音が従来のYesの持っていた荘厳さや重厚さというイメージを見事に払拭したような感のある「Does it Really Happen?」、NWにも通じるようなクリアな音に処理されたテクノ・プログレの「Into The Lens」、従来のスタイルを同時代的に再現させた立体的な音の展開が素晴らしい「Run Through The Light」、ストレートなリズムにメロディックなフレーズが絡み合いながら徐々に昂揚感を沸騰させていく「Tempus Fugit」まで、多少大仰に作りこまれた音の背景には明らかにToToやJourneyといったアメリカン・ハード・プログレ、ひいてはコマーシャリズムを意識していたのではないかとも思わるのだが、その独特の電子音とS.Howeのギターの組み合わせによる浮遊感のようなものが心地よいと思うのである。
「私としてはSteve Howeのギターが聴こえてくるだけでYesだと思うんだ。」
その人は制服のリボンを弄びながらポツリと言った。
そんな言葉を裏切るかのような「Owner of Lonely Heart」でYesが世界的にブレイクするとは夢にも思っていなかった頃のひとコマである。
試聴音源はこちらから
http://www.amazon.co.jp/Drama-Yes/dp/B000002J23
地方都市にしては割と洒落たセンスだったと思う。
その人と会うときは大抵その店だった。
今は珈琲と言えばモカ・マタリなのだが、当時はその店の深煎りされたマンダリンの苦味と酸味のバランスとコクの豊かさにハマっていたのである。もっとも珈琲よりは紅茶が好きなその人はいつもアール・グレイを飲んでいた。

Yesの「Drama」というアルバムはプログレ好きにとって踏み絵のような作品である。もちろんJon Anderson不在で、その代わりにTrevor HornとJeff Downesが加わったという点である。
確かにJonの持っていた叙情性やリリシズムのようなものは欠如しているだが、The Bugglesの二人が持ち込んだポップなアプローチと従来のスリリングでテンションの高い曲のダイナミズムがうまくまとめあげられていると思う。
Steve Howeが水を得た魚のようにギターを弾きまくる重厚なテクノ叙事詩の「Machine Messiah」、The Bugglesのアルバムの中に入っていても不思議ではないポップな小品「White Car」、ドラムの音とベースに導かれて絡みつくシンセサイザーの煌びやかな音が従来のYesの持っていた荘厳さや重厚さというイメージを見事に払拭したような感のある「Does it Really Happen?」、NWにも通じるようなクリアな音に処理されたテクノ・プログレの「Into The Lens」、従来のスタイルを同時代的に再現させた立体的な音の展開が素晴らしい「Run Through The Light」、ストレートなリズムにメロディックなフレーズが絡み合いながら徐々に昂揚感を沸騰させていく「Tempus Fugit」まで、多少大仰に作りこまれた音の背景には明らかにToToやJourneyといったアメリカン・ハード・プログレ、ひいてはコマーシャリズムを意識していたのではないかとも思わるのだが、その独特の電子音とS.Howeのギターの組み合わせによる浮遊感のようなものが心地よいと思うのである。
「私としてはSteve Howeのギターが聴こえてくるだけでYesだと思うんだ。」
その人は制服のリボンを弄びながらポツリと言った。
そんな言葉を裏切るかのような「Owner of Lonely Heart」でYesが世界的にブレイクするとは夢にも思っていなかった頃のひとコマである。
試聴音源はこちらから
http://www.amazon.co.jp/Drama-Yes/dp/B000002J23
気分転換の意味も兼ねて料理をする片桐と言います。
とは言うものの、さほど手をかけて作るのではなくサラリと30分以内程度のものが主流です。例えば旬のタラや鶏のモモ肉を卵の衣でふわっと揚げて、赤ワインマヨネーズ・ソースやはちみつクリーム・ソースをまぶすといった具合に、どちらかというとありふれた材料に副えるソースやスープといったものに凝ったりします。

というわけで、ハンガリーのシンフォニック・ロック・グループのEastが1982年に発表した2ndアルバムの「Hüség」です。シンフォニック系といっても重苦しさはさほど感じられず、どちらかと言えばフュージョンの要素も織り込んだ割とライトな感じなのですが、スリリングなアンサンブルと起承転結を明瞭に配置した曲作りといった部分は決して同時代の西欧の諸バンドに劣るものではないと思います。メタリックなギターとシンセが交錯しながら一つのフレーズのヴァリエーションを展開させながら加速していく「Hüség」、ドラマティックなファンファーレ風のシンセ〜言葉の響きもあってやや重苦しく感じられるヴォーカル・パートを経て、泣きのギター・ソロ〜転がるピアノをも加えたヴォーカル〜ストリング+ブラスといった感じのシンセと一つの曲の中に様々な要素を織り込みながら空間的な拡がりをも表現したような「Keresd Onmagad」、ギターとシンセが交互に疾走感あふれるソロを奏でながら展開していくジャズ・ロック風の「Magikus Ero」、ギターのアルペジオに導かれての切なげなヴォーカルと荘厳かつ華麗ともいえそうなアンサンブルの対比が印象的な「En Voltam」、ジャジーでスペイシーにも感じられるシンセのソロ〜ギターとのユニゾンといったフュージョン・タッチのインスト小品「A Vegtelen Ter Orome」、ゆったりとしたテンポで進むバラードに各楽器が彩りを添えていき、終盤は部厚い音のシンセが主導権を握るく展開の「Ujjaszuletes」、ポップな中にも音色に配慮した重厚なシンセが曲の全体をエレクトリカルに支配する「Ablakok」、重苦しくも演劇的な曲調のヴォーカル・ナンバー「Vesztesek」、アンビエント・ポップを思わせるようなキーボードとエレ・ピの絡みがフュージョン風に繰り広げられていく「Felhokon Setalva」、エキゾティックな雰囲気も漂わせたシンセのリフレインも印象的なドラマティックでメロディアスな(ちょっとCamelぽいかも・・・汗)「Varni Kell」、モノクロームな印象をうける静かなバラード・ナンバーの「Merenges」まで小粒ながらも丁寧な演奏を聴くことの出来るアルバムだと思います。時代的にもカテゴリー的にもこのアルバムはプログレに分類されていますが、現在発表されたとしてもポスト・ロック的なアプローチという面を考慮に入れると全く遜色のない作品と言えるのではないでしょうか。。。。。
とは言うものの、さほど手をかけて作るのではなくサラリと30分以内程度のものが主流です。例えば旬のタラや鶏のモモ肉を卵の衣でふわっと揚げて、赤ワインマヨネーズ・ソースやはちみつクリーム・ソースをまぶすといった具合に、どちらかというとありふれた材料に副えるソースやスープといったものに凝ったりします。

というわけで、ハンガリーのシンフォニック・ロック・グループのEastが1982年に発表した2ndアルバムの「Hüség」です。シンフォニック系といっても重苦しさはさほど感じられず、どちらかと言えばフュージョンの要素も織り込んだ割とライトな感じなのですが、スリリングなアンサンブルと起承転結を明瞭に配置した曲作りといった部分は決して同時代の西欧の諸バンドに劣るものではないと思います。メタリックなギターとシンセが交錯しながら一つのフレーズのヴァリエーションを展開させながら加速していく「Hüség」、ドラマティックなファンファーレ風のシンセ〜言葉の響きもあってやや重苦しく感じられるヴォーカル・パートを経て、泣きのギター・ソロ〜転がるピアノをも加えたヴォーカル〜ストリング+ブラスといった感じのシンセと一つの曲の中に様々な要素を織り込みながら空間的な拡がりをも表現したような「Keresd Onmagad」、ギターとシンセが交互に疾走感あふれるソロを奏でながら展開していくジャズ・ロック風の「Magikus Ero」、ギターのアルペジオに導かれての切なげなヴォーカルと荘厳かつ華麗ともいえそうなアンサンブルの対比が印象的な「En Voltam」、ジャジーでスペイシーにも感じられるシンセのソロ〜ギターとのユニゾンといったフュージョン・タッチのインスト小品「A Vegtelen Ter Orome」、ゆったりとしたテンポで進むバラードに各楽器が彩りを添えていき、終盤は部厚い音のシンセが主導権を握るく展開の「Ujjaszuletes」、ポップな中にも音色に配慮した重厚なシンセが曲の全体をエレクトリカルに支配する「Ablakok」、重苦しくも演劇的な曲調のヴォーカル・ナンバー「Vesztesek」、アンビエント・ポップを思わせるようなキーボードとエレ・ピの絡みがフュージョン風に繰り広げられていく「Felhokon Setalva」、エキゾティックな雰囲気も漂わせたシンセのリフレインも印象的なドラマティックでメロディアスな(ちょっとCamelぽいかも・・・汗)「Varni Kell」、モノクロームな印象をうける静かなバラード・ナンバーの「Merenges」まで小粒ながらも丁寧な演奏を聴くことの出来るアルバムだと思います。時代的にもカテゴリー的にもこのアルバムはプログレに分類されていますが、現在発表されたとしてもポスト・ロック的なアプローチという面を考慮に入れると全く遜色のない作品と言えるのではないでしょうか。。。。。

Sonja Kristinaを擁する英国のプログレ・バンドCurved Airが1972年に発表した3rdアルバムです。francofrehleyさん主宰のBlog「Progressive Café」では「Curved Airの魅力、『らしさ』はSonja Kristinaの妖しいヴォーカルと合わせて、Way&Monkmanが紡ぎだす70年代初期英国アンダーグラウンド臭が充満した荒削りなサウンドだと思っています。あのサウンドとヴォーカルのコンビネーションこそがCurved Airそのものだと思います。」と評されていますが、確かにこのアルバムでは幅のある音楽的な要素をプログレッシヴ・ロックというイディオムで包み込んだようなサウンド・ワークとSonja Kristinaのリリカルでファンタジックな感性がバランスをギリギリのところで保っているという印象があり、その危うさの振幅がこのアルバムの最大の魅力ではないかと思います。ロマンティックな中にも歴史上悲劇的な人生を遂げた主人公の感情を織り込んだようなSonjaのヴォーカルが素晴らしい「Marie Antoinette」、アコ・ギ、フルートヴァイオリンを従えたクラシカルなタッチのフォーク・ソング風の「Melinda」、低音で囁き、呟くようなヴォーカルをブラスとピアノが交錯しながらポップスのタームで彩りを添えていく 「Not Quite The Same」、Darryl Wayのヴァイオリンをフューチャーし、中盤では変拍子と不協和音による不安げな展開も聴かせるインスト曲「「Cheetah」、F.Monkmanの趣味が出た?シーケンス・パターンのみのバロック風の電子音楽作品の「Ultra-Vivaldi」、ファンク・タッチの歌メロにトラッド/クラシカルなヴァイオリンやハモンド・オルガンが色彩を加えていく「Phantasmagoria」、これまたF.Monkmanの手によるハーモナイズ〜電子変調をメインにしたコラージュ的な音響的な作品「Whose Shoulder Are You Looking Over Anyway ?」、ゲストのFrank Ricottiが奏でるマリンバやシロフォン、ブラス・セクションの華やかな音色とミニマルなフレーズを疾走するMick Wedgewoodのベースライン、流れるようなD.Wayのヴァイオリンがテクニカルでアンサンブルを展開しながら、終盤はジャジーな雰囲気を一変させるギターの鋭角的なヴォルテージで締めくくる 「Over And Above」、エスノ〜ラテン的な感覚も楽しいラウンジ・タッチの「Once A Ghost, Alway A Ghost」まで、いわゆるプログレというイメージからはちょっと距離を置いた感もあるニュアンスをもった作品ではないかと感じます。そうした背景にはやはりSonja Kristinaのヴォーカリストとしての限界があるのではないかとも思えます。声域・声量共に狭いSonjaのヴォーカルを生かすためにアコースティックな要素を組み込んだり、またシンプルな歌メロをバッキングするかのごときピアノの使い方といった具合に様々な工夫がなされているとは思います。ただ、逆にそれが仇となってある意味に於ける従来のロック/ポップスという定型的な枠組みの中での閉塞感のようなものも覚えてしまいます。それがアルバムの中でのインスト・パートに顕著のように極度の前衛趣味に走った理由ではないかと思います。言い換えればSonjaというキャラを使いこなすことが出来なくなってしまったということにつながってくるのではないでしょうか?
このバンドの見出した答えが次の「Air Cut」ではっきりしてくると思います。
先日francofrehleyさん主宰の「Progressive Café」中の「プログレ カルトQ」に於いて「某有名プログレ店作品紹介文からの抜粋です。それぞれ作品およびバンド名をお答えください。」というイントロに続いて出題された「初期クリムゾン・ナイズされたメロトロンが全編に渡って物悲しく嘆き、圧倒的な幻想色を作り出していく。カタルシスが激しくせめぎ合うヘヴィな1曲目、浜辺で月を見るような情景が耽美に描き出された2曲目、リザード、アイランド期のクリムゾンの詩情と叙情をいっぱいに吸い込んだ3曲目、ともうここまででも完全に彼らの宮殿に幽閉されてしまう。」というフレーズ、未熟者なのでいろいろと考えてようやく解答までこぎつけた片桐なのですが、それがこのPatoosが2002年に発表した「Time Loss」です。

Petronella Nettermalm の独特で特異なヴォーカルを前面に据えたそのサウンドは極めてシンフォニックな中にもナイーブな感性をはらんだもので、時折挿入されるゲスト陣による管楽器の音色やアナログ的なキーボードの音響処理、ちょっと痙攣じみたギターからはやはりKing Crimsonが連想されるのですが、本家よりも冷ややかなイメージを強く感じるのは気のせいでしょうか? ジャジーなイントロからメロトロンを従えてPetronellaのハイ・トーンの歌声が流れ、重苦しいサウンドの中にも一瞬の夢幻を感じさせるようなアンサンブルが刻々と変化を見せながら展開していく「Sensor」、タイトルに象徴されるような美しくも儚い催眠的な音が静かに綴られ、そしてReineFisckeの音色に気を遣ったようなギターのソロとフルートが眠りを誘うが如く静かに終わりを告げる「Hypnotique」、まさに叙情を目いっぱい吸い込んだような繊細な音つくりと呟くようなヴォーカルが徐々に熱情に変化していく様態を描写したような「Téa 」、硝子細工のようなフォーク・タッチの前半部から、多少北欧トラッドに通じるようなぬくもりのある柔らかなセッションに移行していく「They Are Beautiful」、不安を呼び起こすようなチェロのイントロからブレイク・ビーツ風のリズム=アコースティックなトリップ・ホップのような展開から、フュージョン・タッチのキーボードのソロ〜管楽器が縦横無尽に暴れまわるフリーなセッションとプログレの範疇では異色にも思える「Quits」まで、どことなく豊かなイマジネーションを感じさせるようなアルバムに仕上がっています。最後の「Quits」でのビートに見られるように先人の遺産を継承しながらも、新しいものを積極的に取り入れようとする姿勢も含めて、まさにプログレッシヴという表現が相応しいのではないかと思います。
公式HPはこちらから(3曲試聴できます)
http://www.paatos.com/

Petronella Nettermalm の独特で特異なヴォーカルを前面に据えたそのサウンドは極めてシンフォニックな中にもナイーブな感性をはらんだもので、時折挿入されるゲスト陣による管楽器の音色やアナログ的なキーボードの音響処理、ちょっと痙攣じみたギターからはやはりKing Crimsonが連想されるのですが、本家よりも冷ややかなイメージを強く感じるのは気のせいでしょうか? ジャジーなイントロからメロトロンを従えてPetronellaのハイ・トーンの歌声が流れ、重苦しいサウンドの中にも一瞬の夢幻を感じさせるようなアンサンブルが刻々と変化を見せながら展開していく「Sensor」、タイトルに象徴されるような美しくも儚い催眠的な音が静かに綴られ、そしてReineFisckeの音色に気を遣ったようなギターのソロとフルートが眠りを誘うが如く静かに終わりを告げる「Hypnotique」、まさに叙情を目いっぱい吸い込んだような繊細な音つくりと呟くようなヴォーカルが徐々に熱情に変化していく様態を描写したような「Téa 」、硝子細工のようなフォーク・タッチの前半部から、多少北欧トラッドに通じるようなぬくもりのある柔らかなセッションに移行していく「They Are Beautiful」、不安を呼び起こすようなチェロのイントロからブレイク・ビーツ風のリズム=アコースティックなトリップ・ホップのような展開から、フュージョン・タッチのキーボードのソロ〜管楽器が縦横無尽に暴れまわるフリーなセッションとプログレの範疇では異色にも思える「Quits」まで、どことなく豊かなイマジネーションを感じさせるようなアルバムに仕上がっています。最後の「Quits」でのビートに見られるように先人の遺産を継承しながらも、新しいものを積極的に取り入れようとする姿勢も含めて、まさにプログレッシヴという表現が相応しいのではないかと思います。
公式HPはこちらから(3曲試聴できます)
http://www.paatos.com/
実は仲間由紀恵さんのファンなので、最近意味もなく出勤前にはAsahi飲料のWANDA モーニングショットを飲んでいたりする片桐です。

というわけで(どういわけかは意味不明)、Julian CopeもHPでレビュって大推薦のサイケな一枚、High Tideの1969年の1stアルバム「Sea Shanties」です。サイケデリック・ロックの中でも割とヘヴィー系のジャンルに属するこのグループはご存知の如くTony Hillのファズを利かせたディストーション・ギターとSimon Houseのヒステリックなヴァイオリンという二枚看板でお馴染みなのですが、ハード・ロック的な感触の音つくりをメインとしながらも、長尺の曲を渦を巻くようにうねりながらテクニカルに展開していく有様は圧巻と言うべきだと思います。強烈なリフと重苦しいリズム・セクション、それに意外とジェントリーなヴォーカルが繰り広げられる「Futilist's Lament」からは漆黒の闇を垣間見ることが出来るでしょうし、9分にも及ぶ「Death Warmed Up」からは正気と狂気の狭間を揺れ動く人間の微妙な動きのようなものを感じ取れるのではないでしょうか?一方で爪弾かれるようなギターに寄り添うようなヴァイオリンの響きのアンサンブルと切り込まれてくるテンション高いギター・ワークとのアンバランス加減が心地よい「Pushed, But Not Forgotten」では世の中の不条理をそのまサイケデリックの枠組みで表現しているようなものにも思えますし、アシッド・フォークを意識したような「Walkin Down Their Outlook」やヴァイオリンが泣き咽ぶような「Missing Out」からは約束された楽園を捜し求める苦悩のようなものが潜まれているような気もします。そして、その約束された土地が実はどこにも存在しなかった時に、幸福を内なる部分に求めていくことを決意したかのような「Nowhere」まで、いろいろと想像してしまうような音の連続に正直いって戸惑ったりもするのですが、本当はそんな風に感じたことをストレートに出してしまえば、作品そのものを矮小化させてしまうことになるし、イマジネーションを限定・固定化させてしまう結果に陥るのでとどめておきたいのですが、ついついオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」のサントラにピッタリではないかと思ったりもするのです。
試聴音源はこちらから
http://musik.tdconline.dk/servlets/2452306090224Dispatch/19/call?htmltemplate=./album/viewalbum.htm&albumid=3815663

というわけで(どういわけかは意味不明)、Julian CopeもHPでレビュって大推薦のサイケな一枚、High Tideの1969年の1stアルバム「Sea Shanties」です。サイケデリック・ロックの中でも割とヘヴィー系のジャンルに属するこのグループはご存知の如くTony Hillのファズを利かせたディストーション・ギターとSimon Houseのヒステリックなヴァイオリンという二枚看板でお馴染みなのですが、ハード・ロック的な感触の音つくりをメインとしながらも、長尺の曲を渦を巻くようにうねりながらテクニカルに展開していく有様は圧巻と言うべきだと思います。強烈なリフと重苦しいリズム・セクション、それに意外とジェントリーなヴォーカルが繰り広げられる「Futilist's Lament」からは漆黒の闇を垣間見ることが出来るでしょうし、9分にも及ぶ「Death Warmed Up」からは正気と狂気の狭間を揺れ動く人間の微妙な動きのようなものを感じ取れるのではないでしょうか?一方で爪弾かれるようなギターに寄り添うようなヴァイオリンの響きのアンサンブルと切り込まれてくるテンション高いギター・ワークとのアンバランス加減が心地よい「Pushed, But Not Forgotten」では世の中の不条理をそのまサイケデリックの枠組みで表現しているようなものにも思えますし、アシッド・フォークを意識したような「Walkin Down Their Outlook」やヴァイオリンが泣き咽ぶような「Missing Out」からは約束された楽園を捜し求める苦悩のようなものが潜まれているような気もします。そして、その約束された土地が実はどこにも存在しなかった時に、幸福を内なる部分に求めていくことを決意したかのような「Nowhere」まで、いろいろと想像してしまうような音の連続に正直いって戸惑ったりもするのですが、本当はそんな風に感じたことをストレートに出してしまえば、作品そのものを矮小化させてしまうことになるし、イマジネーションを限定・固定化させてしまう結果に陥るのでとどめておきたいのですが、ついついオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」のサントラにピッタリではないかと思ったりもするのです。
試聴音源はこちらから
http://musik.tdconline.dk/servlets/2452306090224Dispatch/19/call?htmltemplate=./album/viewalbum.htm&albumid=3815663

中身がないことで定評がある「不条理音盤委員会」の片桐と言います。
ますますもって帆立貝という有様もいとおかしき世の中で、英国ロック界のプロデューサーとして知られるDavid Rohl氏が自分の音楽を表現を目的として大勢の人を集めたプロジェクトであるMandala Bandの2ndなのでございますが、最初に集めた面子が揃いも揃って今回の召集には応じずに、その代わりに呼び集められたのがMoody BluesのJustin HeywardやMaddy Prior、10ccやBarclay James Harvestのメンバーといった基本的には夢見心地系の演奏を得意とする方々というわけで、そういった人々が参加したためかどうかは全くもってわからないのですが、David Rohl氏はオリジナルのファンタジーを作成し、そのサウンドトラックのような形でこの作品が完成したという長い長い前置きは皆様ご存知のとおりであります。と、何はともあれ、のだめカンタービレ、稗田阿礼にトマト・ピューレの食い倒れといった具合にとても混成軍団とは思えないような何気に一体感のあるアンサンブルが情緒的でかつファンタジックな描写的演奏を繰り広げていくわけで、その繊細な感覚と美しさの背景に英国の香りが漂うという極上の逸品、美人は別嬪、血中に含まれるのはヘモグロビンといったアルバムなのでありんす。木管楽器によるイントロからUlien Pipeと優雅なオーケストレション+BJHがフル参加してブルージーなギターを聴かせる後半部まで多彩な色合いのオープニング・ナンバーの「The Eye Of Wender」から始まって、Eric Stewartのヴォーカルをフューチャーしたドラマティックながらもメロウな雰囲気漂う 「Florian's Song」、流麗なサックスを筆頭にジャズ・フュージョンタッチのシンフォニック・アレンジが印象的な「Ride To The City」、ヴォコーダー、ギターやシンセ、パーッカションなどによるおどけた曲調の小品「Almar's Towe」、Maddy Priorの美しい声が印象的な荘厳で重厚な印象のある「Like The Wind」、シンセとオーケストレションで嵐を表現したインストの小品「The Tempest」、Justin Heywardのフレンドリーな歌声が耳に残るドラマティックでシンフォニックな曲の間にパイプによるトラッド風のフレーズが織り込まれた「Dawn Of A New Day」、ジグ風の跳ねるようなリズムから、コラール風のコーラスとミニマル・タッチのピアノが交錯していく「Departure From Carthilias」、クラヴィネットが全面的に使われているためか、部厚い音の中にファンキーな感覚もするGraham Gouldmanのヴォーカル・ナンバー「Elsethea」、幾重にも重ねられたオーケストレーションの中からKevin Godleyの歌声が虚ろげに響き、John Leesの繊細なギターが泣きを誘う「Witch Of Waldow Wood」、豪華なオケを従えたまさにオーケストラル・ポップの元祖とも呼べそうなSad CaféのPaul Youngを擁した「「Silesandre」、憂いを帯びたピアノ・ソロに淡いコラールがかぶった「Aenold's Lament」、前曲を引き継ぎながらギターとサックスがパッショネイトな演奏を展開する「Funeral Of King」、 大団円をイメージするような派手なコーラスが最後に平安を予知するかのごとくシンセ音に包み込まれていくような「Coronation Of Damien」まで、どこか没落していく大英帝国の光と影を象徴したかのようなくっきりとしたコントラストに彩られている作品だという気もします。
試聴音源はこちらから
http://www.amazon.de/Eye-Wendor-Mandalaband/dp/B0001ACKNO

アメリカのグループEaster Islandが1979年に自主制作したアルバムがこの「Now and Then」です。メロトロンやムーグ・シンセサイザーを多用したその音作りは70年代のシンフォニック・ロック〜特にYesやEL&Pの影響を強く感じます。折り重なるように奏でられるメロトロンに導かれるように始まる「Wanderer's Lament」から、ちょっとシアトリカルなヴォーカルとムーグのソロがKeith Emarsonを連想させる、70年代風のハード・ロック調の「Face to Face」、Yesをそのままコピーしたような「GeniusOf The Dance」「Solar Sailor」、そしては雄大でダイナミックなムーグのソロをフューチャーした「Winds Of Time」で終わる旧A面は言葉が悪いかも知れせんが、、いわゆるシンフォニック・ロックの定番パターンを踏襲したような曲が続きます。一方の旧B面の「The Alchemist's Suite」では変拍子の多用と、積極的なメロトロンの導入、そしてジャズ・ロック風のアバンギャルド的な展開という具合に、恐らくメンバー達の持ち寄ったアイデアを全て集約させたかの如き、スリリングかつメロディアスな演奏が聴けます。オリジナリティという面では多少欠ける部分があるのは否定しませんが、全体的にプログレッシヴ・ロックというものに対する愛着、あるいは熱気というものを感じさせてくれる1枚だと思います。
このEaster Islandはこの「Now and Then」だけかと思っていましたが、20年後の1999年にMike Miceliが中心となって「Mother Sun」というアルバムを発表しているようですが、こちらは未聴です。
Mike MiceliのHPではEaster Islandの音源が試聴できます。
http://www.easterislandmusic.com/Music.html

SAMLA MAMMAS MANNAは言わずと知れたスウェーデンのバンドです。その音楽性はアヴァンギャルドなジャズ・ロックとも言うべきでしょうか?とても一言では表現できないほどの多様性を持っています(笑)。結成は69年。バンド名はラリっている最中に思いついたらしくそこからも初期はサイケデリックな影響が強かったのを知ることができます。71年のセルフ・タイトルの1stアルバムではキーボード・トリオ+コンガという特異な編成でありながら、歪んだエレクトリック・ピアノが中華風、あるいは中近東風のメロディーを弾いたかと思うと、突如としてラウンジ風のジャム・セッションになり、フリー・ジャズかと思えば北欧のトラッド風の曲に変身するといった具合に落ち着きのない曲展開の底から笑い声が聞こえてくるような奇妙な感覚を持ったアルバムになっています。73年に発表されたこの2ndアルバム「Maltid」ではギタリストのCoste Apetreaが加入してますますその音楽の自由度が増していきます。疾走するがごとく駆け抜けるギターとエレ・ピの全速力ユニゾンとそれを煽るがごとくたたみかける変拍子の嵐・・・それが突如としてリズム・チェンジを繰り返し、その合間に響き渡る奇声と裏声のヴォーカル&コーラス・・・かと思えばトラッド風のナンバーをユーモアたっぷりに演奏する・・・すさまじいばかりのアンサンブルと度を越したおふざけ感覚・・・どこまで真面目で、どこからか不真面目なのか見当もつきませんが、これだけのことを涼しい顔でやっていること自体彼らは確信犯なのでしょう。一つの曲の中で多くのアイデアをつめこんで出し惜しみしないグループ。それがSAMLA MAMMAS MANNAというバンドだと思います。