不条理音盤委員会 651 Cathedral 「Stained Glass Stories」
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- 2009/07/29(Wed) -
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![]() 誰でも似たような感覚を抱いている筈と推測するが、いろいろなアーティストの作品を聴いていると、それが誰かの影響下にあったり、誰かのフォロワーだったりすることに気づいて、思わず笑ったり驚いたりしてしまう。アメリカのシンフォニック系バンドCathedralの1978年のこの1stアルバムもそんな先駆者の影が見え隠れする。無論それは非難されることではなく、そういったスタイルを模倣していくことからバンドは始まったのだろうし、形式を咀嚼しながら自分たちの方向性を目指して作り上げていくのであるから。。。それをオリジナリティーの欠如というタームで一括りにするのは容易である。しかしコピーとかイミテーションというスタイルを創出したということは誰も評価しない。それを「個」と認めず切り捨ててしまうことがすなわち人間の傲慢さなのである。 重苦しいリフから突如として現れるギターのヴァイオリン奏法が先導してのYes風のヴォーカル・パートと変拍子も交えた陰鬱なメロが交互に現れる 「Introspect」は曲調が激しく変化することもあって、暗い情念の炎のようなものを感じさせる。続くインスト・ナンバー 「Gong」では際立ったテーマを持たないメロが連続するテクニカルな志向をうかがわせ、そこに妙にリリカルなパートを組み込むことでまるで錯乱を表現しているかのようである。狂気と正気の間を往来するようなメロトロンの音が不安感を煽る。叙情的な展開の中にエッジを利かせたギターと硬い響きのベースが組み込まれた「The Crossing」は時折クラシカルな方向に走りながらも流れるように展開されていく曲。アカペラでのヴォーカル・ソロからメロトロンを前面に打ち出したパストラルな 「Days & Changes」、重厚なイメージのイントロを継承して静謐なパートを重ねつつ、小気味よく走るリズム隊とと共にギターが泣きながらエンディングを迎える 「The Search」まで、攻撃的ともいえそうなフレーズを繰り返しているのにもかかわらず、その矛先が内部に向けられているような独特の不気味さというかミステリアスさを兼ね備えたような作品である。無論、その印象はこもったような録音のせいもあるのだろうが、聴いていて、そのあまりにもの内省的な感触に孤独感すら覚えてしまうのである。 試聴音源はこちらから http://cdbaby.com/cd/cathedral2 |
不条理音盤委員会 628 Franco Battiato 「Sulle corde di Aries」
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- 2009/04/10(Fri) -
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どうでもいい話(新聞記事より)。
トリニダード・トバゴ兼アンティグア・バーブーダ兼ガイアナ兼グレナダ兼スリナム兼セントクリストファー・ネビス兼セントビンセント兼セントルシア兼ドミニカ大使の岩田氏にバルバドスの大使を兼任するようにとの辞令が下されました。 カリブ海をめぐる小国ばかりで日本とのつながりもあまり無いような国々なのですが、もし、同時にこれらの国々で事件や政変が起こったら、彼はとても忙しくなるのでは?とついつい余計な心配をしてしまう片桐と言います。 ![]() と、いうわけでイタリアのカンタトゥーレFranco Battiatoさんが1973年に発表した3枚目のアルバムです。Battiatoさんは現在では割とポップな曲を歌っている息の長いアーティストなのですが、初期の作品はいずれも地中海的な民俗音楽とフリーなエレクトロニクス、そしてサイケデリックが混淆した非常にアヴァンギャルドな姿勢の音楽を作っていました。ミニマル音楽の影響も感じられる反復的な音塊の上を一つのフレーズが様々な形で繰り返していく方法はまさに魔術的であり、繊細な感性に裏づけられた極めてイマジネーションが膨らんでいく作品ではないかという印象があります。 カリンバ?やオペラチックなヴォーカル、音色を変調・加工されたヴァイオリン、チェロ、それにシーケンスっぽいVCS3のいくつものフレーズが現れては消えていく16分あまりの大作「Sequenze e Frequenze」、 多少フリーキーながらもギリシャ~イタリアを思い出させる明るいフレーズを奏でるギターとサックスがパーカッションに煽られていく「Aries」、Battiatoさんの伸びやかな歌声が堪能できる「Aria di Rivoluzione」、バロック風の歌曲調のヴォーカル・パートからギリシャ~地中海東岸地域の音に変貌していく「Da Oriente a Occidente」まで静かに展開していく中にイタリアという風土に基づいた郷愁のようなものをたっぷり織り込んだカレイドスコープのようなアルバムに仕上がっているという印象があります。土着性という面からみれば、ミニマル的に繰り広げられていく音の中には決してラテン系の要素のみならず、アラブやギリシャといったニュアンスは勿論のこと、「Aries」のパーカッション部ではケルト~ノルマン系のエッセンスも感じられ、まさにイタリア民俗絵巻とも言うべき独特の視点がうかがえるような気がします。 「Aries」の音だけ。。。(一応youtubeでこのアルバムの全曲聴けます・・・・)。 試聴音源はこちらから http://www.amazon.co.uk/Sulle-Corde-Aries-Franco-Battiato/dp/B000062W2H |
不条理音盤委員会 563 RECORDANDO O VALE DAS MAÇÃS 「As Crianças Da Nova Floresta」
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- 2008/03/30(Sun) -
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![]() たまにはプログレッシヴ・ロックなどを。。。。 ブラジルのRECORDANDO O VALE DAS MAÇÃSが1993年に発表した、このリンゴのジャケットのアルバム「As Crianças Da Nova Floresta」はシンフォニックな要素とギター、キーボード、フルートが絡みあうインター・プレイに富むジャズ・ロック風のアルバムとして高い評価を得ていると思います。 フルートとヴァイオリンが軽やかに絡みながらのアコースティックなリリシズムの前半部ととラテン風味も感じられるアコ・ギとシンセがドリーミーな展開をみせる後半部の素晴らしい前後のコントラストによく歌うギターが要所を締めたプレーを聴かせる 「Remembering Apples Valley II」、ファンタスティックなイントロからフュージョン・タッチのギターが心地よいメロディーを奏でるパートに引き継がれ、その後にフルート、ストリング・シンセ、ギターといったカラフルなアンサンブルがちょっと性急とも思えるリズム隊に煽られるかのように様々に表情を変えていくオリジナルLPからの再演らしい 「The Children Of The New World」、 前半の都会的なセンスを兼ね備えたロマンティックなフレーズから一転してアンビエント系に通じるようなシンセのソロを挟んでドラムのロールと共にエモーショナルに頂点を目指していくきわめて映像的な「Water」、ノスタルジックな印象のあるフレーズを丹念に組み合わせながら、そこにラテン風味やエスノ風味を加味した表現力の広がりが印象的な「The Hermit」、フォルクローレを連想させるフルートのソロから、ムーディーなホーンやフュージョン寄りのギターといったジャズ・ロック的な感覚に満ちたギタリストFernando Pachecoのソロからの収録ナンバー「Himalaia」、アコ・ギのアルペジオにのせて、静謐なメロをフルートが紡いでいく小品 「Seeds Of Light」まで、全編インスト曲ながら繊細さを感じさせる快いメロディーが次々に現れては次のフレーズに継承されていくというスリリングな一面もある曲ばかりが収められています。 このアルバム、実はオリジナルではなく編集盤なのですが、そういったことを一切感じさせない統一されたヴィジョンのようなものが提示されているような気になってきます。演奏そのものは決してテクニカルなことをやっているというわけでもないのですが、そんな自分たちの世界観をデリケートにナチュラルな姿勢で表現したような印象を覚えます。 個人的にはお気に入りの1枚で、常に車に積んでおります(笑)。 彼らの公式HPからちょっとだけ試聴できます(モノ音源ですが。。。) http://www.progressiverockbr.com/recaudio.htm |
不条理音盤委員会 507 Yes 「Drama」
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- 2007/06/21(Thu) -
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その店は商店街の一角の雑居ビルの地下1Fにあった。
地方都市にしては割と洒落たセンスだったと思う。 その人と会うときは大抵その店だった。 今は珈琲と言えばモカ・マタリなのだが、当時はその店の深煎りされたマンダリンの苦味と酸味のバランスとコクの豊かさにハマっていたのである。もっとも珈琲よりは紅茶が好きなその人はいつもアール・グレイを飲んでいた。 ![]() Yesの「Drama」というアルバムはプログレ好きにとって踏み絵のような作品である。もちろんJon Anderson不在で、その代わりにTrevor HornとJeff Downesが加わったという点である。 確かにJonの持っていた叙情性やリリシズムのようなものは欠如しているだが、The Bugglesの二人が持ち込んだポップなアプローチと従来のスリリングでテンションの高い曲のダイナミズムがうまくまとめあげられていると思う。 Steve Howeが水を得た魚のようにギターを弾きまくる重厚なテクノ叙事詩の「Machine Messiah」、The Bugglesのアルバムの中に入っていても不思議ではないポップな小品「White Car」、ドラムの音とベースに導かれて絡みつくシンセサイザーの煌びやかな音が従来のYesの持っていた荘厳さや重厚さというイメージを見事に払拭したような感のある「Does it Really Happen?」、NWにも通じるようなクリアな音に処理されたテクノ・プログレの「Into The Lens」、従来のスタイルを同時代的に再現させた立体的な音の展開が素晴らしい「Run Through The Light」、ストレートなリズムにメロディックなフレーズが絡み合いながら徐々に昂揚感を沸騰させていく「Tempus Fugit」まで、多少大仰に作りこまれた音の背景には明らかにToToやJourneyといったアメリカン・ハード・プログレ、ひいてはコマーシャリズムを意識していたのではないかとも思わるのだが、その独特の電子音とS.Howeのギターの組み合わせによる浮遊感のようなものが心地よいと思うのである。 「私としてはSteve Howeのギターが聴こえてくるだけでYesだと思うんだ。」 その人は制服のリボンを弄びながらポツリと言った。 そんな言葉を裏切るかのような「Owner of Lonely Heart」でYesが世界的にブレイクするとは夢にも思っていなかった頃のひとコマである。 試聴音源はこちらから http://www.amazon.co.jp/Drama-Yes/dp/B000002J23 |
不条理音盤委員会 381 Khan 「Space Shanty」
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- 2007/06/09(Sat) -
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![]() hello nicoさんがプログレ・バトンで「最終的には気にいってもらいたい」バンドとして名前を挙げていたSteve Hillage率いるKhan名義での1972年のアルバムです。人脈・音楽性の共に交錯しているカンタベリー勢の中でも、このアルバムはTHE CRAZY WORLD OF ARTHUR BROWN のリズム・セクションであるEric Peacheyと Nick Greenwood、それに盟友のDave Stewartを迎えてジャズとロックの中間を歩むような展開と変拍子が炸裂するテクニカルなアンサンブルが楽しめる隠れた名作ともいえる作品だと思います。ブルージーなプレイをメインとしながらもアシッドでドリーミーなオルガンが挿入されたり、さりげない変拍子でのアクセントをつけたりといったいかにもDave Stewartらしいコミカルさが散りばめられた中を、Steve Hillageがサイケデリックな表情さえもうかがえるギターを奏でる 「Space Shanty(Including The Cobalt Sequence And March Of The Sine Squadrons)」、ジャジーなタッチながら重ねられたギターの音色やエレ・ピ、終盤部のエフェクト加減が妙にロマンティックな印象をおぼえる「Strabded/Effervescent Psychonovelty No.5」、まさに初期ブリティッシュ・ロックの猥雑さを証明したかのごとく、ソウルフルなヴォーカルとR&Bタッチのファンキー&リズミカルなアンサンブルが一転して、ジャズ・タッチのインタープレイと交錯する気品を感じるような雰囲気が漂う「Mixed Up Man Of The Mountains」、ブルース感覚満載のHillageのギターと大仰にも思える空間的な音使いを重視したDaveのオルガン・ワークが所狭しと駆け回るスリリングなグルーブ感あふれる「Driving To Amsterdam」、オルガンとマリンバ?、それにギターによる変拍子的なイントロをそのまま複雑に絡ませながら継承・展開させた超ポップ・ソングの 「Stargazers」、オルガンの伴奏で歌い上げるHillageとそれを支える繊細でリリカルな演奏がドリーミー・サイケにも通じる高揚感を演出していく 「Hollow Stone/Escape Of The Space Pirates」まで、スペース・サイケデリック・プログレッシヴとも呼ぶべき摩訶不思議な世界が展開されているという印象があります。ここで聴かれるようなねじれたポップ感覚がカンタベリー系に共通するのは言うまでもありません。 |
不条理音盤委員会 474 Curved Air 「Phantasmagoria」
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- 2007/03/03(Sat) -
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![]() Sonja Kristinaを擁する英国のプログレ・バンドCurved Airが1972年に発表した3rdアルバムです。francofrehleyさん主宰のBlog「Progressive Café」では「Curved Airの魅力、『らしさ』はSonja Kristinaの妖しいヴォーカルと合わせて、Way&Monkmanが紡ぎだす70年代初期英国アンダーグラウンド臭が充満した荒削りなサウンドだと思っています。あのサウンドとヴォーカルのコンビネーションこそがCurved Airそのものだと思います。」と評されていますが、確かにこのアルバムでは幅のある音楽的な要素をプログレッシヴ・ロックというイディオムで包み込んだようなサウンド・ワークとSonja Kristinaのリリカルでファンタジックな感性がバランスをギリギリのところで保っているという印象があり、その危うさの振幅がこのアルバムの最大の魅力ではないかと思います。ロマンティックな中にも歴史上悲劇的な人生を遂げた主人公の感情を織り込んだようなSonjaのヴォーカルが素晴らしい「Marie Antoinette」、アコ・ギ、フルートヴァイオリンを従えたクラシカルなタッチのフォーク・ソング風の「Melinda」、低音で囁き、呟くようなヴォーカルをブラスとピアノが交錯しながらポップスのタームで彩りを添えていく 「Not Quite The Same」、Darryl Wayのヴァイオリンをフューチャーし、中盤では変拍子と不協和音による不安げな展開も聴かせるインスト曲「「Cheetah」、F.Monkmanの趣味が出た?シーケンス・パターンのみのバロック風の電子音楽作品の「Ultra-Vivaldi」、ファンク・タッチの歌メロにトラッド/クラシカルなヴァイオリンやハモンド・オルガンが色彩を加えていく「Phantasmagoria」、これまたF.Monkmanの手によるハーモナイズ~電子変調をメインにしたコラージュ的な音響的な作品「Whose Shoulder Are You Looking Over Anyway ?」、ゲストのFrank Ricottiが奏でるマリンバやシロフォン、ブラス・セクションの華やかな音色とミニマルなフレーズを疾走するMick Wedgewoodのベースライン、流れるようなD.Wayのヴァイオリンがテクニカルでアンサンブルを展開しながら、終盤はジャジーな雰囲気を一変させるギターの鋭角的なヴォルテージで締めくくる 「Over And Above」、エスノ~ラテン的な感覚も楽しいラウンジ・タッチの「Once A Ghost, Alway A Ghost」まで、いわゆるプログレというイメージからはちょっと距離を置いた感もあるニュアンスをもった作品ではないかと感じます。そうした背景にはやはりSonja Kristinaのヴォーカリストとしての限界があるのではないかとも思えます。声域・声量共に狭いSonjaのヴォーカルを生かすためにアコースティックな要素を組み込んだり、またシンプルな歌メロをバッキングするかのごときピアノの使い方といった具合に様々な工夫がなされているとは思います。ただ、逆にそれが仇となってある意味に於ける従来のロック/ポップスという定型的な枠組みの中での閉塞感のようなものも覚えてしまいます。それがアルバムの中でのインスト・パートに顕著のように極度の前衛趣味に走った理由ではないかと思います。言い換えればSonjaというキャラを使いこなすことが出来なくなってしまったということにつながってくるのではないでしょうか? このバンドの見出した答えが次の「Air Cut」ではっきりしてくると思います。 |
不条理音盤委員会 464 Pattos 「Time Loss」
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- 2007/01/15(Mon) -
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先日francofrehleyさん主宰の「Progressive Café」中の「プログレ カルトQ」に於いて「某有名プログレ店作品紹介文からの抜粋です。それぞれ作品およびバンド名をお答えください。」というイントロに続いて出題された「初期クリムゾン・ナイズされたメロトロンが全編に渡って物悲しく嘆き、圧倒的な幻想色を作り出していく。カタルシスが激しくせめぎ合うヘヴィな1曲目、浜辺で月を見るような情景が耽美に描き出された2曲目、リザード、アイランド期のクリムゾンの詩情と叙情をいっぱいに吸い込んだ3曲目、ともうここまででも完全に彼らの宮殿に幽閉されてしまう。」というフレーズ、未熟者なのでいろいろと考えてようやく解答までこぎつけた片桐なのですが、それがこのPatoosが2002年に発表した「Time Loss」です。
![]() Petronella Nettermalm の独特で特異なヴォーカルを前面に据えたそのサウンドは極めてシンフォニックな中にもナイーブな感性をはらんだもので、時折挿入されるゲスト陣による管楽器の音色やアナログ的なキーボードの音響処理、ちょっと痙攣じみたギターからはやはりKing Crimsonが連想されるのですが、本家よりも冷ややかなイメージを強く感じるのは気のせいでしょうか? ジャジーなイントロからメロトロンを従えてPetronellaのハイ・トーンの歌声が流れ、重苦しいサウンドの中にも一瞬の夢幻を感じさせるようなアンサンブルが刻々と変化を見せながら展開していく「Sensor」、タイトルに象徴されるような美しくも儚い催眠的な音が静かに綴られ、そしてReineFisckeの音色に気を遣ったようなギターのソロとフルートが眠りを誘うが如く静かに終わりを告げる「Hypnotique」、まさに叙情を目いっぱい吸い込んだような繊細な音つくりと呟くようなヴォーカルが徐々に熱情に変化していく様態を描写したような「Téa 」、硝子細工のようなフォーク・タッチの前半部から、多少北欧トラッドに通じるようなぬくもりのある柔らかなセッションに移行していく「They Are Beautiful」、不安を呼び起こすようなチェロのイントロからブレイク・ビーツ風のリズム=アコースティックなトリップ・ホップのような展開から、フュージョン・タッチのキーボードのソロ~管楽器が縦横無尽に暴れまわるフリーなセッションとプログレの範疇では異色にも思える「Quits」まで、どことなく豊かなイマジネーションを感じさせるようなアルバムに仕上がっています。最後の「Quits」でのビートに見られるように先人の遺産を継承しながらも、新しいものを積極的に取り入れようとする姿勢も含めて、まさにプログレッシヴという表現が相応しいのではないかと思います。 公式HPはこちらから(3曲試聴できます) http://www.paatos.com/ |
不条理音盤委員会 447 HIGH TIDE 「Sea Shanties」
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- 2006/12/12(Tue) -
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実は仲間由紀恵さんのファンなので、最近意味もなく出勤前にはAsahi飲料のWANDA モーニングショットを飲んでいたりする片桐です。
![]() というわけで(どういわけかは意味不明)、Julian CopeもHPでレビュって大推薦のサイケな一枚、High Tideの1969年の1stアルバム「Sea Shanties」です。サイケデリック・ロックの中でも割とヘヴィー系のジャンルに属するこのグループはご存知の如くTony Hillのファズを利かせたディストーション・ギターとSimon Houseのヒステリックなヴァイオリンという二枚看板でお馴染みなのですが、ハード・ロック的な感触の音つくりをメインとしながらも、長尺の曲を渦を巻くようにうねりながらテクニカルに展開していく有様は圧巻と言うべきだと思います。強烈なリフと重苦しいリズム・セクション、それに意外とジェントリーなヴォーカルが繰り広げられる「Futilist's Lament」からは漆黒の闇を垣間見ることが出来るでしょうし、9分にも及ぶ「Death Warmed Up」からは正気と狂気の狭間を揺れ動く人間の微妙な動きのようなものを感じ取れるのではないでしょうか?一方で爪弾かれるようなギターに寄り添うようなヴァイオリンの響きのアンサンブルと切り込まれてくるテンション高いギター・ワークとのアンバランス加減が心地よい「Pushed, But Not Forgotten」では世の中の不条理をそのまサイケデリックの枠組みで表現しているようなものにも思えますし、アシッド・フォークを意識したような「Walkin Down Their Outlook」やヴァイオリンが泣き咽ぶような「Missing Out」からは約束された楽園を捜し求める苦悩のようなものが潜まれているような気もします。そして、その約束された土地が実はどこにも存在しなかった時に、幸福を内なる部分に求めていくことを決意したかのような「Nowhere」まで、いろいろと想像してしまうような音の連続に正直いって戸惑ったりもするのですが、本当はそんな風に感じたことをストレートに出してしまえば、作品そのものを矮小化させてしまうことになるし、イマジネーションを限定・固定化させてしまう結果に陥るのでとどめておきたいのですが、ついついオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」のサントラにピッタリではないかと思ったりもするのです。 試聴音源はこちらから http://musik.tdconline.dk/servlets/2452306090224Dispatch/19/call?htmltemplate=./album/viewalbum.htm&albumid=3815663 |
不条理音盤委員会 442 Mandala Band 「The Eye Of Wender」
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- 2006/11/10(Fri) -
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![]() 中身がないことで定評がある「不条理音盤委員会」の片桐と言います。 ますますもって帆立貝という有様もいとおかしき世の中で、英国ロック界のプロデューサーとして知られるDavid Rohl氏が自分の音楽を表現を目的として大勢の人を集めたプロジェクトであるMandala Bandの2ndなのでございますが、最初に集めた面子が揃いも揃って今回の召集には応じずに、その代わりに呼び集められたのがMoody BluesのJustin HeywardやMaddy Prior、10ccやBarclay James Harvestのメンバーといった基本的には夢見心地系の演奏を得意とする方々というわけで、そういった人々が参加したためかどうかは全くもってわからないのですが、David Rohl氏はオリジナルのファンタジーを作成し、そのサウンドトラックのような形でこの作品が完成したという長い長い前置きは皆様ご存知のとおりであります。と、何はともあれ、のだめカンタービレ、稗田阿礼にトマト・ピューレの食い倒れといった具合にとても混成軍団とは思えないような何気に一体感のあるアンサンブルが情緒的でかつファンタジックな描写的演奏を繰り広げていくわけで、その繊細な感覚と美しさの背景に英国の香りが漂うという極上の逸品、美人は別嬪、血中に含まれるのはヘモグロビンといったアルバムなのでありんす。木管楽器によるイントロからUlien Pipeと優雅なオーケストレション+BJHがフル参加してブルージーなギターを聴かせる後半部まで多彩な色合いのオープニング・ナンバーの「The Eye Of Wender」から始まって、Eric Stewartのヴォーカルをフューチャーしたドラマティックながらもメロウな雰囲気漂う 「Florian's Song」、流麗なサックスを筆頭にジャズ・フュージョンタッチのシンフォニック・アレンジが印象的な「Ride To The City」、ヴォコーダー、ギターやシンセ、パーッカションなどによるおどけた曲調の小品「Almar's Towe」、Maddy Priorの美しい声が印象的な荘厳で重厚な印象のある「Like The Wind」、シンセとオーケストレションで嵐を表現したインストの小品「The Tempest」、Justin Heywardのフレンドリーな歌声が耳に残るドラマティックでシンフォニックな曲の間にパイプによるトラッド風のフレーズが織り込まれた「Dawn Of A New Day」、ジグ風の跳ねるようなリズムから、コラール風のコーラスとミニマル・タッチのピアノが交錯していく「Departure From Carthilias」、クラヴィネットが全面的に使われているためか、部厚い音の中にファンキーな感覚もするGraham Gouldmanのヴォーカル・ナンバー「Elsethea」、幾重にも重ねられたオーケストレーションの中からKevin Godleyの歌声が虚ろげに響き、John Leesの繊細なギターが泣きを誘う「Witch Of Waldow Wood」、豪華なオケを従えたまさにオーケストラル・ポップの元祖とも呼べそうなSad CaféのPaul Youngを擁した「「Silesandre」、憂いを帯びたピアノ・ソロに淡いコラールがかぶった「Aenold's Lament」、前曲を引き継ぎながらギターとサックスがパッショネイトな演奏を展開する「Funeral Of King」、 大団円をイメージするような派手なコーラスが最後に平安を予知するかのごとくシンセ音に包み込まれていくような「Coronation Of Damien」まで、どこか没落していく大英帝国の光と影を象徴したかのようなくっきりとしたコントラストに彩られている作品だという気もします。 試聴音源はこちらから http://www.amazon.de/Eye-Wendor-Mandalaband/dp/B0001ACKNO |
不条理音盤委員会 430 CIRCUS 2000 「Circus 2000」
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- 2006/10/13(Fri) -
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時々眠くて仕方がないときがあって、そういうときに限ってやらなければいけない仕事がたまっていて、さらにそういう時に限ってデートの約束をしていたりして、それを一度に片付ける気力がないときはまずはグーグーと寝るという片桐なのですが、困ったことに何故かそういう頃合を見計らったように悪夢など見てしまって、その寝覚めの悪さに回らない頭を無理に動かして仕事をするのですが、案の定進捗率は悪く、そんなことをしている日々が続くと、時々眠くて仕方がない・・・・という堂々巡りの日々なのであります。
というわけでSilvana Aliotta(Vo)、Marcello "Spooky" Quartarone(Vo、G)、Gianni Bianco (G、B)、Johnny Betti(Dr)の4人からなるCIRCUS 2000はサイケデリックに満ちた音を紡いでいるいわゆるUK~ビート・ロック直系のグループですが、彼らの出身がイタリアとは思えない正統的なアシッド風の雰囲気を漂わせつつも、ポップも実験性を共存させたこのサウンドはたとえB級と呼ばれようともどこか抗しがたい魅力をはらんでいると思います。ゆったりとしたリズムに2本のギターが絡んでいく「Can't Believe」、乾いたギターとフルートがサイケデリックな雰囲気を盛り上げる「Try To Live」、シタールを意識したようなギターに象徴されるようなインド風の音が目立つ「Must Walk Forever」、インドやアフリカを視点に入れた実験的なサウンドの「Sun Will Shine」、ヴォーカルのエフェクト処理とビート・ポップ的なサウンドの対比が面白い「Just Can't Stay」、アシッド感覚とブギをミックスさせたような軽快な「I Am The Witch」、ソリッドなギターの音色とタブラ的なパーッカションが心地よい「Magic Beam」、浮遊感あふれるような「While You're Sleeping」、スライド的な音やフルートも使った妙にメディテーショナルな「Try All Day」、このアルバムの中でMarcelloが唯一メイン・ヴォーカルをとるパストラルな感じの「The Lord, Ha Has No Hands」まで割とシンプルで短い曲が続くのですが、サウンドのバラエティとヴォーカルのヘタウマ加減のアンバランスさがちょっと気になってしまうのでもありました。妙に歌い上げようとするSilvanaの気持ちは理解できないでもないのですが。。。。。。 |
不条理音盤委員会 401 Alec K. Redfearn And The Eyesores 「The Quiet Room」
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- 2006/07/31(Mon) -
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![]() 供述によれば片桐はプログレッシヴ・ロックというジャンルが好きらしい。以前アメリカのSamla Mammas Mannaという異名をほしいままにしたレコメン系ジャズ・ロック・バンドAOEBIC ENSEMBLEのリーダー兼アコーディオン奏者であるAlec.K Redfeanが新たに結成したユニットがThe Eyesoresであり、その彼らが2004年末に発表したアルバムがこの「The Quiet Room」であると、供述している。いわゆるジャズ・ロックがベースとなっているのだがクレズマーや東欧のブラスバンドに通じるような音をやたらと突き放したようなニヒルな視点で演奏していて、繰り広げられる音はクールな割にはノリだけは無茶苦茶よく、アコーディオンや弦楽器の響きに伴う哀愁も同時に感じられる無国籍風のチェンバー・ミュージックであるという点が気に入っているとも供述している。 片桐の供述によれば、音合わせ風のサウンド・コラージュ的なインタールードの「Simian Fanfare」から始まり、変拍子を織り込んだクレズマー風の「Night It Rained Glass On Onion Street」、アラビックなメロディーが耳に残る「Bible Lite」、単音のピアノに弦楽器の不協和音をミックスさせた前衛的な「Walking Sticks」、タイトル通りにインド風のリフを奏でるストリングと盆踊り風のリズムといった謎の組み合わせが施された「Punjabi / Watery Grave」、各種楽器がメロディーらしきものを抜きにしてただ鳴らされる、まさにタイトルに相応しくアコースティック・サイケな「Morphine Drip」、電子音を駆使しただけの小品「Bonaparte Crossing The Blood-Brain Barrier」、Alec.KとMargie Wienkの男女のデュオ・ヴォーカルが退廃的な「Smoking Shoes」、東欧風のメロのアコーディオンが脱力的哀愁を誘う「Slo-mo」、Frank Diffcultの操作するエレクトロニクス音とAlec.Kの口琴が交錯する「Coke Bugs」、これまた不安感を誘うようなインタールード風の「That Which Connects Your Flesh To The Floor」、またもやひしゃげたリズムを従えて、ただ楽器が鳴らされるだけの「Portuguese Man O' War」、エフェクト処理されたアコーディオンの音色が効果的に響く「Quiet Room」、ブルガリア近辺の音をNW的に解釈したような楽しい「Bulgarian Skin Mechanic」、変則越境ジャズ的な「Somnambulance」まで一筋縄ではいかないような音が連続しているとのことである。極めて直感的な音でもあるので好き嫌いがはっきりとわかれる音であろうとも彼は供述している。 試聴音源はこちらから http://www.cduniverse.com/search/xx/music/pid/6815593/a/Quiet+Room.htm |
不条理音盤委員会 384 YATHA SIDHRA 「A Meditation Mass」
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- 2006/07/12(Wed) -
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![]() ジャーマン・サイケデリアの中には東洋的な要素を導入して表現する傾向が見られるのですが、Rolf Fichter(Moog 、Indian flute、Vibes etc)、Klaus Fichter(Drums、Percussion)、Matthias Nicolai(Guitar、Bass)の3人からなるYATHA SIDHRAが1974年に発表した唯一の作品であろうこのアルバムもまた東洋的な神秘主義への憧憬をあらわにした音で、その筋には有名なユニットだと思います。小刻みなミニマル的な反復を奏でるドラムやパーッカション、キーボードやギターが絡み合う上をPeter Elbracht(ゲスト扱い?)によるフルートの長いフレーズがかぶるといった極めて瞑想的でトリップ感覚に満ちている作品に仕上がっています。SE的な電子音と風の音?を模した冒頭から2本のギターによるアシッド感覚あふれるフレーズに、パーカッションとフルートが絡み合い、中盤からはバンスリ?と思われる柔らかな笛の音も加わり、詠唱風のヴォーカルやベルやヴァイヴの清冽な音も挿入され、最後はピアノのクラシカルなフレーズでしめくくるというインド音楽の影響を強く感じるような「Part 1」、ピアノとフリーキーなフルートによるジャズ・フュージョン・タッチの小品「Part 2」、前曲同様のフルートのフリーキーなフレーズを継承して、ドラムとベースに煽られるかの如くジャズ・タッチに展開していくギターの音色が心地よい前半部から、突如としてスペース・ロック風~アバンギャルド・セッション風に曲調ががらりと変わる中盤を経て、再度フルートが主導権を握りながらチープなHawkwind風な展開(音の定位を様々に移行させていく部分はなかなかのものです・・・)をみせる「Part 3」、Amon DuulⅡがPopol Vuhしたような瞑想的な音が延々と続く「Part 4」まで、決してテクニカルではないものの、オリエンタルな要素をふんだんにまぶしたヒプノティックな一枚に仕上がっています。おそらくセッション的な作品で即興に近いような演奏で作り込まれていない分だけ、純朴でプリミティヴな印象を感じます。その素人っぽいサイケ感覚がまたたまらないのであります。 試聴音源はこちらから http://www.amazon.de/gp/product/B0001DD922/028-5080469-5337360?v=glance&n=290380 |
不条理音盤委員会 375 La Düsseldorf 「Viva!」
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- 2006/07/02(Sun) -
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![]() 現在も多くのアーティストに影響を与えるNEU!のKlaus Dingerが弟のThomas Dinger、Hans Lampeと結成したLa Düsseldorfの1978年発表の2ndアルバムです。テクノであり、ロックであり、パンクでもあるという意味でクラウト・ロックの名盤と呼ぶべき作品で、ポップとアグレッシヴさが危ういバランスで共存している中を人力によるミニマリズムと多彩なエレクトロニクスがスパイラル状に反復しながら無限の音響空間を創出していく様は最早快感を超越したトランス感覚に通じるものがあります。ひたすら能天気に「Viva!」を連呼する背後でギターが縦横無尽に駆け回る「Viva」、アップ・テンポなテクノ・パンク風の「White Overall」、賛美歌のようなイントロから、名曲「Cha Cha 2000」につながる伏線的なテーマがシンセによって奏でられ、明るくポップな曲調とリリカルなメロディーが徐々に登りつめていく有様は、あたかもエクスタシーに引きずり込まれていくような錯覚がある「Rheinita」、鳥のさえずりをコラージュしただけのお遊び的な「Fogel」 、美しいメロディーと調子外れのヴォーカルが同居する「Geld」、あくまでも狂気を隠しながら密かにニヤニヤと笑い続ける不気味さを内包した明るさを全面的に表明した名曲中の名曲「Cha Cha 2000」まで、巧みに練られたシンセ・オーケストレーションや独特のアパッチ・ビートが交錯する中で、実は白昼夢にも似たドリーミーな人工的な音世界が繰り広げられる作品になっています。 エレクトロニクスを駆使しているようで実はホームメイド感覚にあふれた作品ではないかという印象もあります。 めくるめく電子音の羅列の中で、君は何を考えているのだろうか?僕は沈黙のまま 君からの一言を待ち続ける。君が君であるという証明と、僕が僕でしかないという意味を美しく共振させるためだけに、ひたすら君からの言葉を待ち続ける。 試聴音源はこちらから http://www.amazon.de/gp/product/B000025V2V/303-3545840-6804229?v=glance&n=290380 |
そしておかえりなさい、MAO.Kさん。この記事にこんなことを書くのはいけないのかもしれませんが、記事を更新されたこと、とても嬉しく思います。また気がゆうけいあれから1年。。。立春自分の世界が一瞬で変わったあの日から一年経ちました。
高田は開けた風景で開放感があって好きだってよく言われてた地形が仇になり、多くの犠牲者を出してしまったのが無OGYあれから1年。。。Re: 合掌ゆうけいさん、コメントありがとうございます。
公的にも私的にも課題は山積みですね。
まだまだ、やらなきゃならないことが多くて、未だに途方に暮れています。
それMao.Katagiriあれから1年。。。合掌1年が過ぎましたね。阪神淡路大震災と比しても行方不明者の数は遥かに多く、復興へ解決すべき問題は多岐にわたりすぎている、と感じます。それでも前へ進もうとする被災地ゆうけい流行歌曲再生舞踊団 406 SUPER ECCENTRIC THEATER 「Beat The RapRe: タイトルなし>パイクマン姫君
> こんばんは!
> あ~なんとなく覚えてるこれ♪
> 男性ラップの内容が吉幾三みたいなんですけど~
> 女性陣が案外イケてますね。
…さMao.Katagiri流行歌曲再生舞踊団 406 SUPER ECCENTRIC THEATER 「Beat The RapRe: タイトルなし>gogleman師匠
これは…書かれてるとおり隙間ぽいですねえ~そんな盲点的名曲ですね。
> YTの曲説にgrandmaster flashと書いてるんですが(笑)たしかに彼らのマイMao.Katagiri流行歌曲再生舞踊団 406 SUPER ECCENTRIC THEATER 「Beat The Rapこんばんは!
あ~なんとなく覚えてるこれ♪
男性ラップの内容が吉幾三みたいなんですけど~
女性陣が案外イケてますね。
ジャケ写真はまさかバラカン氏の幼少時代!?
パイクマン流行歌曲再生舞踊団 406 SUPER ECCENTRIC THEATER 「Beat The Rapこれは…書かれてるとおり隙間ぽいですねえ~そんな盲点的名曲ですね。
YTの曲説にgrandmaster flashと書いてるんですが(笑)たしかに彼らのマイクリレー的フリースタイルgogleman流行歌曲再生舞踊団 403 Ruby Blue 「Primitive Man」Re: タイトルなし>ゆうけいさん、コメントありがとうございます。
> その節は情報ありがとうございました。今でも高音質SACDのベスト盤時々聞いております。
レベッカ・ピジョンさMao.Katagiri流行歌曲再生舞踊団 403 Ruby Blue 「Primitive Man」その節は情報ありがとうございました。今でも高音質SACDのベスト盤時々聞いております。http://amzn.to/wK0MXKゆうけい