
元気ですか?
僕は相変わらず、まぁまぁ・・・かな?といったところです。
ちょっと前に君が話していたRico’s Creole BandのCDが届いたよ。
モノラル録音のせいもあって、流れてくるノスタルジックな音にはちょっと眩暈を感じてしまうほどのパラダイス気分を味わっている。もちろん、いつもの如くウォッカをパイナップル・ジュースで割って飲みながら聴いている。
バンドのリーダーであるFilberto Ricoさんのことはよく知らなかったけど、キューバ出身のDon Baretto楽団でクラリネットを吹いていた人なんだね。クラリネットという楽器や“Creole”という楽団名、それにパリで活躍したというところから、僕なんぞはついついマルチニクのAlexandore Stellioさんを思い浮かべてしまうけど、やはり彼もルンバやボレロと共にビギンも演っているんだね。それにしてもずいぶんエレガントでヨーロピアンな雰囲気の漂う演奏に驚いたよ。もっとアフロ・キューバンっぽいのかと勝手にイメージしていたのは大間違いだった。こんなルンバもあるんだ、と再認識。
もっとも、そんなことを口にすれば、彼らやドン・アスピアズ楽団は本来の意味のルンバではなく、アメリカやヨーロッパでダンス音楽として流行したいわゆる“商業的ルンバ”なんだよ、といつもの得意げな表情で僕に講釈する君の顔が思い浮かんでくるけどさ。。。でも、たとえコマシャーライズされたとはいえ、こんなトロピカルでエキゾティックなムードにあふれる音楽に熱狂した当時のパリの人々がちょっと羨ましくも思えてくる。
何曲かで歌っているAntonio Machinはドン・アスピアズのところで「南京豆売り」歌っていた人だよね?彼の声って本当に優しい感じがする。だからよけいにエレガントさを感じてしまうのかな、って気もしてくる。Mariana GuidaさんとChiquita Serranoさんがデュエットしている曲はちょっとコミカルだけど、Chiquitaさんがソロで歌っている曲は全体的にかなり甘い感じの響きだよね?Ricoさんもクラリネットよりはフルートを吹いている曲が多くて、そういう曲ではチャランガやソンにも近い印象を感じる。
でも、クラーベスのリズムの刻み方はやはり“ルンバ”だよね。僕が刻むといつもリズムが跳ねないって、君はいつも笑っていたけど、僕は6/8のハバネラとかが得意なんだ。
Rico’s Creole Bandはこれ以外にもいくつか復刻されているみたいなので、探し出してみることにするよ。
ところで、君と最後に会ったのはいつだっけ?
いつも好き勝手に言いたい放題のメールをくれるだけだよな?
でも、それが気まぐれな君に相応しいんだろうな、と思うことにしている。
じゃあ、またな。。。。
と、友人に宛てたメール風にレビューしてみる。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=1076270
新・底ぬけ脱線ゲーム状態の片桐と言います。
「知的な流行の最先端」として使われた筈の「脱構築」も最早手垢にまみれてしまったような感があり、どっかの誰かのように「手紙が届かない可能性があることと決して届かないこととの間には大きな違いがあり、かつまた論文形式ではなく書簡体形式を採用することでメッセージや主体が幾重にも重層化していく効果を狙っている」と叫んでみても、それが単なるボヤキにしか聴こえず、「それなら民営化した意味がないじゃん?」と軽くいなされてしまう世の中で、パナマの伝統的な音楽であるメホラーナとタンボリーナを可愛らしい声で歌っているシルヴィア=デ=グラッセさんの童顔を眺めていると、やはりラテン音楽好きなんだな〜としみじみ思ったりもする。

で、ある事象に対してそれの肯定、否定、中立といった3つの立脚点が存在するのであるが、どの視点に於いても、それは自己の正当化であり、ひいては自己満足なのであって、結局はどのような場合でも決着をつけるには妥協と欺瞞が取引材料となる。そういうわけでサンバそのものはあまり得意ではないのだが、クララ・ヌネスさんだけは別格である。躍動感のみならず、人生において体験しうる全ての感情のそれぞれをメロディーに変換させた彼女の歌声は「生命」を代弁しているかのようである。

世の中は相変わらず「自分探し」ブームで、老いも若きも本当の自分を発見しようと懸命で、到る所に置き去りにされた自己が放置されていたりする。結局は見つけたと思っていた「自分」は仮の姿で、またもや新たな「自分」を探しに行ったりするので、いつまで経っても満足できずに中途半端なままで終わってしまうのは見ていて滑稽でもあり悲惨でもある。現実を注視せずに、仮想の自分を想定している間だけがそういう人にとっては幸福なのであろう、とズークが流行した時に代表的な一枚となったKassav'の「Vini Pou」を聴きながら思う。当時はDX-7の音に面食らったものだが、今聴いても全然古くないところが良い。

「物語」は消費されていく運命を持っていて、発信される情報を自分にフィードバックさせての疑似体験を共有することが楽しみの一つとなってきている。それは普段口にする食べ物までに及んでいて「OXさんの畑で作られた野菜」というPOP広告には安全性よりも、生産者のこだわりを物語化して想像力を享受しているといってもよかろうかと思う。
Ernesto Lecuonaといえばとにかくルンバ楽団の演奏ばかりが高名で、ピアノ演奏の腕前をラヴェルに絶賛されたとか、「ラプソディー・イン・ブルー」の楽譜をガーシュインから譲りうけたという話はあまり知られていないのだが、このCDはそんな彼の本当の姿を示している。ジャケットはいかにもといったアメコミ風でがっかりなのだが、彼の演奏がちゃんとリマスタリングされて聴けるのだから良しとする。「マラゲーニャ」も「ハバネラ」も「シボネイ」も、そして「そよ風と私」も入っているのだ。

マス=イメージが優先していく状況下でのターゲットは「心」である。心を商品化していくという方向性の一つに、安易な「癒し」がある。簡単に癒される程度なのか、それともそれほど癒されたがっているのは当の本人しか理解らないので、その分一見複雑にも思える手法を駆使して誰もが「心に傷」を負い、「トラウマ」に悩み、「コンプレックス」に苦しむのである。故に誰もが心を病んでいる結果になる。
メレンゲはドミニカ発祥の音楽なのだが、このスタイルを一躍世界的なものにしたのがAngel Viloria y su Conjunto Típico Cibaeñoである。彼らの演奏は60年代以降のポップなメレンゲとは一線を画した温かくもほのぼのとしたムードに包まれている。復刻も進んでいて本当は全部揃えたいという欲求もあるのだが、とりあえずはコンピ盤で我慢しておくことにする。

別に擁護するわけではないが、国土交通省関連のHPには面白いものが多い。道路然り、ダム然り。地域に密着した情報を提供しているので意外と知らなかったようなことが記されていたりする。無駄だと叫ぶ前に地元の道路整備局や河川管理事務所などを訪れてみた方がよい。見えないところに隠された真実を探すのに最適である。批判はそれから始まるのである。
「南京豆売り=El Manicero」は好きな曲の一つで、最初はペレス=プラードの「ハバナ午前3時」のヴァージョンが好きだったが、Mini All Starsのコンパのアレンジも気に入っている。しかし、何といってもこの曲はDon Azpiazu & His Havana Casino Orchestraが最高である。全体的にはちょっと甘いタイプなのだが、それがまた古いキューバらしさを感じるのである。この盤演奏はベストに近いのだが、ジャケが最悪。親分だけが生首状態なのである。

感性を常に磨いておかなくてはならない。そのために常に新しいことに目を向けてなくてはならない。
停滞するのは簡単なことであり、その方が気楽なのかもしれないが、そこから新たなものは生まれない。うわべだけ塗り替えられてひたすら拡大再生産を繰り返すだけである。それで一人で悦に入っている様子はこっちが見ていて恥ずかしくなってくる。
ガイタはヴェネズエラの音楽の一種で、緩やかなリズムが心地よいのであるがCDを入手するとなると甚だ困難なのである。Guacoがサルサに転換して以来、これといった盤がなく、ひたすらDLで我慢してきたのだが、ようやくGran Coquivacoaというグループのアルバムを手にした。これがまたGuacoよりも素朴な感じなのである。時代を30年くらい遡ったような感がある。

「知的な流行の最先端」として使われた筈の「脱構築」も最早手垢にまみれてしまったような感があり、どっかの誰かのように「手紙が届かない可能性があることと決して届かないこととの間には大きな違いがあり、かつまた論文形式ではなく書簡体形式を採用することでメッセージや主体が幾重にも重層化していく効果を狙っている」と叫んでみても、それが単なるボヤキにしか聴こえず、「それなら民営化した意味がないじゃん?」と軽くいなされてしまう世の中で、パナマの伝統的な音楽であるメホラーナとタンボリーナを可愛らしい声で歌っているシルヴィア=デ=グラッセさんの童顔を眺めていると、やはりラテン音楽好きなんだな〜としみじみ思ったりもする。

で、ある事象に対してそれの肯定、否定、中立といった3つの立脚点が存在するのであるが、どの視点に於いても、それは自己の正当化であり、ひいては自己満足なのであって、結局はどのような場合でも決着をつけるには妥協と欺瞞が取引材料となる。そういうわけでサンバそのものはあまり得意ではないのだが、クララ・ヌネスさんだけは別格である。躍動感のみならず、人生において体験しうる全ての感情のそれぞれをメロディーに変換させた彼女の歌声は「生命」を代弁しているかのようである。

世の中は相変わらず「自分探し」ブームで、老いも若きも本当の自分を発見しようと懸命で、到る所に置き去りにされた自己が放置されていたりする。結局は見つけたと思っていた「自分」は仮の姿で、またもや新たな「自分」を探しに行ったりするので、いつまで経っても満足できずに中途半端なままで終わってしまうのは見ていて滑稽でもあり悲惨でもある。現実を注視せずに、仮想の自分を想定している間だけがそういう人にとっては幸福なのであろう、とズークが流行した時に代表的な一枚となったKassav'の「Vini Pou」を聴きながら思う。当時はDX-7の音に面食らったものだが、今聴いても全然古くないところが良い。

「物語」は消費されていく運命を持っていて、発信される情報を自分にフィードバックさせての疑似体験を共有することが楽しみの一つとなってきている。それは普段口にする食べ物までに及んでいて「OXさんの畑で作られた野菜」というPOP広告には安全性よりも、生産者のこだわりを物語化して想像力を享受しているといってもよかろうかと思う。
Ernesto Lecuonaといえばとにかくルンバ楽団の演奏ばかりが高名で、ピアノ演奏の腕前をラヴェルに絶賛されたとか、「ラプソディー・イン・ブルー」の楽譜をガーシュインから譲りうけたという話はあまり知られていないのだが、このCDはそんな彼の本当の姿を示している。ジャケットはいかにもといったアメコミ風でがっかりなのだが、彼の演奏がちゃんとリマスタリングされて聴けるのだから良しとする。「マラゲーニャ」も「ハバネラ」も「シボネイ」も、そして「そよ風と私」も入っているのだ。

マス=イメージが優先していく状況下でのターゲットは「心」である。心を商品化していくという方向性の一つに、安易な「癒し」がある。簡単に癒される程度なのか、それともそれほど癒されたがっているのは当の本人しか理解らないので、その分一見複雑にも思える手法を駆使して誰もが「心に傷」を負い、「トラウマ」に悩み、「コンプレックス」に苦しむのである。故に誰もが心を病んでいる結果になる。
メレンゲはドミニカ発祥の音楽なのだが、このスタイルを一躍世界的なものにしたのがAngel Viloria y su Conjunto Típico Cibaeñoである。彼らの演奏は60年代以降のポップなメレンゲとは一線を画した温かくもほのぼのとしたムードに包まれている。復刻も進んでいて本当は全部揃えたいという欲求もあるのだが、とりあえずはコンピ盤で我慢しておくことにする。

別に擁護するわけではないが、国土交通省関連のHPには面白いものが多い。道路然り、ダム然り。地域に密着した情報を提供しているので意外と知らなかったようなことが記されていたりする。無駄だと叫ぶ前に地元の道路整備局や河川管理事務所などを訪れてみた方がよい。見えないところに隠された真実を探すのに最適である。批判はそれから始まるのである。
「南京豆売り=El Manicero」は好きな曲の一つで、最初はペレス=プラードの「ハバナ午前3時」のヴァージョンが好きだったが、Mini All Starsのコンパのアレンジも気に入っている。しかし、何といってもこの曲はDon Azpiazu & His Havana Casino Orchestraが最高である。全体的にはちょっと甘いタイプなのだが、それがまた古いキューバらしさを感じるのである。この盤演奏はベストに近いのだが、ジャケが最悪。親分だけが生首状態なのである。

感性を常に磨いておかなくてはならない。そのために常に新しいことに目を向けてなくてはならない。
停滞するのは簡単なことであり、その方が気楽なのかもしれないが、そこから新たなものは生まれない。うわべだけ塗り替えられてひたすら拡大再生産を繰り返すだけである。それで一人で悦に入っている様子はこっちが見ていて恥ずかしくなってくる。
ガイタはヴェネズエラの音楽の一種で、緩やかなリズムが心地よいのであるがCDを入手するとなると甚だ困難なのである。Guacoがサルサに転換して以来、これといった盤がなく、ひたすらDLで我慢してきたのだが、ようやくGran Coquivacoaというグループのアルバムを手にした。これがまたGuacoよりも素朴な感じなのである。時代を30年くらい遡ったような感がある。

先日麗しの姫君パイクマンさんのところでメキシコのボレーロのコンピが紹介されていたので。。。。
19世紀にキューバ東部で発生したといわれているボレーロはその源流にハバネーラがあるようなのですが、キューバ本国よりもメキシコやプエルト・リコでスイートなラブ・ソングとして大流行しました。

このVirginia Lopezさんもプエルト・リコ出身のボレーロ歌手で、活動拠点はメキシコが主だったようで、50〜60年代には多くの男性歌手と並んで人気があった方らしいです。この2枚組CD「Grandes Exitos de Virginia Lopez」はAmazonではものすごい値段で中古盤が売られていますが、彼女のRCA時代のアルバムから選曲されたゆったりとしたリズムにのったしなやかで甘い歌声には速攻でKOされること間違いなしでしょう。
試聴音源はこちらから
http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,122284,00.html

上のVirginia Lopezさんとほぼ同時期に活躍し、日本国内でも「メキシコの恋人」として人気を博したのがMaria Victoriaさん。こちらの「Estrellas Del Fonografo」も2万円近くで取引されているようですが、ゴージャスな雰囲気のラテンムード歌謡といった印象で、これまた美しい歌声にKOされるのは確実でしょう。
試聴音源はこちらから
http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,269456,00.html
19世紀にキューバ東部で発生したといわれているボレーロはその源流にハバネーラがあるようなのですが、キューバ本国よりもメキシコやプエルト・リコでスイートなラブ・ソングとして大流行しました。

このVirginia Lopezさんもプエルト・リコ出身のボレーロ歌手で、活動拠点はメキシコが主だったようで、50〜60年代には多くの男性歌手と並んで人気があった方らしいです。この2枚組CD「Grandes Exitos de Virginia Lopez」はAmazonではものすごい値段で中古盤が売られていますが、彼女のRCA時代のアルバムから選曲されたゆったりとしたリズムにのったしなやかで甘い歌声には速攻でKOされること間違いなしでしょう。
試聴音源はこちらから
http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,122284,00.html

上のVirginia Lopezさんとほぼ同時期に活躍し、日本国内でも「メキシコの恋人」として人気を博したのがMaria Victoriaさん。こちらの「Estrellas Del Fonografo」も2万円近くで取引されているようですが、ゴージャスな雰囲気のラテンムード歌謡といった印象で、これまた美しい歌声にKOされるのは確実でしょう。
試聴音源はこちらから
http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,269456,00.html

メキシコといえば、ソンブレロをかぶり、ギターやギタロン、バイオリン、トランペットといった楽器で陽気な音楽を奏でるマリアッチが有名なのですが、実は耳にするマリアッチの大半はアメリアッチだったりするわけで、元々本来のマリアッチにデキシーランド・ジャズのスタイルをミックスさせたのがアメリアッチというもので、そもそもこのスタイルを創りあげたのはオールナイト・ニッポンのテーマ曲でもお馴染みのハープ・アルパートさんで、彼の演奏したファンキーな感覚と豪華なブラス・サウンドは一世を風靡したのでありました。
というわけで、60年代にメキシコで女優兼歌手として活躍したSonia Lopezさんの登場になるわけなのですが、彼女はそういったマリアッチやアメリアッチとは一線を画した通俗的なラテン・ポップスを歌っていました。以前アメリカCBSからクンビアばかりを歌った編集盤が出ていましたが、こちらの編集アルバムでは賑やかなキューバン・スタイルのブラス・セクションを従えて、ちょっとしゃくりあげるようなチャーミングな歌い方でボレーロから、マンボ、サルサ、クンビアといったジャンルを問わない楽しげな歌声を披露してくれています。そもそもメキシコの都市部ではもっぱらボレーロやダンソンといったキューバ系の音楽が好まれてきたという歴史があり、かのPrez=Pradoも晩年はメキシコ・シティーに住んでいたというだけあって汎ラテン的な音楽が好まれる下地は十分あったわけで、おそらく彼女同様の歌い手は相当数いたのではないかと思われます。もっともきっちりと作りこまれたオケと比較すればSoniaさんの歌は素人丸出しで音程にも怪しげなところがあるので、聴いているとまるで場末のキャバレーか温泉場のラテン歌謡ショーのような印象すら覚えるのですが、何故か日本人にとってラテン・ムードは情熱的というよりは猥雑さや下世話さの方が先行することを思えば、いかにもといった感じのラテン・ミュージックな一枚なのです。
試聴音源はこちらから
http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=6683039&BAB=M
統一地方選挙の年なので、選挙ネタを少々。
「明るい街作り」を公約に掲げたある市会議員は、その約束通り今まで暗くて評判の悪かった舗道に街路灯を設置したために女性からの得票数が増えてみごとに再選を果たしたのですが、その彼がファーストを守っている時にレフトを守っていた片桐と言います。
というわけで、いつもよく行く喫茶店のマスターから教えてもらったのがジャマイカのヴィブラフォン奏者Lennie Hibbertさんが1969年に発表した「Creation」です。

この方はロック・ステディ〜レゲエ界では名が知られているようなのですが、レゲエの世界でヴィブラフォンを演奏するのは彼だけのようらしく、またLennieさん自身もこの「Creation」と続編の「More Creation」しかアルバムは発表していないようです(セッションには多数参加しているようですが・・・)。Skatalitesのメンバーを輩出した事でも有名なAlpha Boys Schoolの教師でもあったLennieさんなのですが、このアルバムで聴かれる音は、スカやレゲエの典型的なリズムの上を優しく響き渡るヴァイブとJackie Mittooの奏でるオルガンの音がまろやかに溶け合いながら競演しているという非常にクールな印象をうけるもので、インストながらもちろん歌心あふれるメロをふんだんに織り込みながら、トロピカル・フレイヴァーあふれる作品に仕上げています。こういった音楽はリズムのボトム感も重要なのですが、活動拠点でもあるStudio Oneの制作ということもあってしっかり骨太のリズムを感じさせてくれ、その上をヴァイブが自由闊達に飛び交うといったさまは、ついエキゾ〜モンド界の巨匠Martin Dennyさんの名前が浮かんでしまいます。事実、ちょっと中華風にも聴こえるメロやアフロやマンボの借用と、ジャマイカンに限定されない発想でのインスト音楽としての旨みもまた凝縮された楽園的音楽の一枚なのであります。
試聴音源はこちらから
http://www.reggaerecord.com/jp/description.php?code=70367
「明るい街作り」を公約に掲げたある市会議員は、その約束通り今まで暗くて評判の悪かった舗道に街路灯を設置したために女性からの得票数が増えてみごとに再選を果たしたのですが、その彼がファーストを守っている時にレフトを守っていた片桐と言います。
というわけで、いつもよく行く喫茶店のマスターから教えてもらったのがジャマイカのヴィブラフォン奏者Lennie Hibbertさんが1969年に発表した「Creation」です。

この方はロック・ステディ〜レゲエ界では名が知られているようなのですが、レゲエの世界でヴィブラフォンを演奏するのは彼だけのようらしく、またLennieさん自身もこの「Creation」と続編の「More Creation」しかアルバムは発表していないようです(セッションには多数参加しているようですが・・・)。Skatalitesのメンバーを輩出した事でも有名なAlpha Boys Schoolの教師でもあったLennieさんなのですが、このアルバムで聴かれる音は、スカやレゲエの典型的なリズムの上を優しく響き渡るヴァイブとJackie Mittooの奏でるオルガンの音がまろやかに溶け合いながら競演しているという非常にクールな印象をうけるもので、インストながらもちろん歌心あふれるメロをふんだんに織り込みながら、トロピカル・フレイヴァーあふれる作品に仕上げています。こういった音楽はリズムのボトム感も重要なのですが、活動拠点でもあるStudio Oneの制作ということもあってしっかり骨太のリズムを感じさせてくれ、その上をヴァイブが自由闊達に飛び交うといったさまは、ついエキゾ〜モンド界の巨匠Martin Dennyさんの名前が浮かんでしまいます。事実、ちょっと中華風にも聴こえるメロやアフロやマンボの借用と、ジャマイカンに限定されない発想でのインスト音楽としての旨みもまた凝縮された楽園的音楽の一枚なのであります。
試聴音源はこちらから
http://www.reggaerecord.com/jp/description.php?code=70367

カリブ海の古層の音楽を探求しているといろいろと面白いものが見つかって、そのリゾート気分的な開放的で明るい音楽性と並行して、そこにはアフリカやアジアからの移民の哀しい歴史というものも同時に存在していることは忘れてはならないわけで、常にそういった視点も兼備してこの方面の音楽を聴く必要はあるのだと思います。
というわけで、フランス領ギアナ(Guyane française)にはやはりクレオール系の音楽やズーク、あるいはコンパに近い音楽があって、それはまた各々のオリジナルのものとはちょっと異なった感覚の妙に渋みのある味わい深い演奏で心惹かれたりするのですが、このLa Lyre Cayennaiseはそんな中でもグァドループやマルチニークといった地域との共通性を感じます。ジャケット写真に映っている方々がメンバーだと思われますが、かなり年季の入った方々のようで、ブックレットの簡単な解説によれば、このLa Lyre Cayennaiseが結成されたのは1950年で、ギアナ地方のアフリカ色が濃い伝承曲やフォルクローレ、あるいはクレオール系の音楽を演奏し続けてきたようです。どうも彼らはプロではないようで、MalavoiやTarabの楽団のように何かの機会に集まって演奏活動をするようで、その素朴みあふれる温かい演奏が心にじんわりと染み入ってきます。バンジョー、ギター、フルート、クラリネットにパーカッションという編成に時折男女の歌がはいるという編成で奏でられる曲の数々は、ビギンだったりマズルカだったりするわけなのですが、パーカッションの入り方が妙にアフリカぽかったり、マルシャ=ビギンというスタイル?が曲に付されているようにマーチ風のリズムからビギンに変化していくもの、あるいはボレーロ・ルンバといったキューバン・スタイルの翻訳ともいえるような演奏も聴くことが出来ます。またアフリカ西部のChantに類似したヴォーカルやスークース風のギターのアルペジオといった具合にこの地域の負の歴史をそのまま音楽に転化したような事実も聴き逃せません。
明るさを感じさせるメロディーの中に一瞬感じる翳りのようなもの。それは厳しく苦しい日常生活の中で、わずかながらの光を求めていたことの反映なのかもしれません。
1999年発表のこのアルバム今では廃盤なのかもしれませんが、是非一聴をお薦めします。

ころんさんから更なる突込みが入ってしまい、Nemours Jean Baptisteの名前を出してしまったら、Welbert Sicotに触れないわけにはいかないでしょう。
彼もまたハイチのサックス奏者兼作曲家で、50〜60年代にはBaptisteと人気を二分したほどの実力の持ち主でした。彼もまたメランゲの不遇時代からモダン・メレンゲの流行時代を経験し、独自のスタンスを生み出そうと苦心したのですが、Bapstieがメレンゲ本来の優雅さを強調すべきアコーディオンを積極的に導入したのに対して、Sicotはホーン・セクションを全面的に打ち出すことによって新たなスタイルを創生させました。彼は自分が生み出したスタイルをCadence Rampaと名づけたのですが、Compas DirectとCadence Rampaの間にはリズム的にはさほど差が感じられないのは元々ハイチ固有のメランゲの発展形式であるという以上致し方ないと言うべきでしょう。で、このアルバムで聴かれる彼のオルケスタの演奏はBaptisteのものと比較すればかなりダイナミズムに富んでいるような気がしますが、無論それはかなりキューバン・スタイルを意識したホーン・セクションのためなのですが、コンガ奏者が二人いるという点もまた挙げられると思います。小刻みなポリ・リズムの間を縫うようにホーン・セクションが煽り立てるようなフレーズを奏でていくのですが、そういった中にもやはりエレガントな雰囲気が漂うのは二人の音楽に共通する点ではあります。Sicotも確かに人気があったようなのですが、60年代に入るとBaptisteの方が上だったようで、それを打開すべく彼はサルサのスタイルまで借用したり、「Cherry Pink and Apple Blossom White」や「My Way」といったスタンダード曲を吹き込んだ自身名義でのソロ・アルバムを発表したりといろいろと試行錯誤を繰り返したようです。
個人的にはどちらも好きなのですが、雑食性を目指したSicotよりはBaptisteの方に軍配があがると思います。
試聴音源はこちらから
http://www.deltarecord.com/cds/webert_sicot_jetrampa.htm

ころんさんからコメントをもらったので聴きなおしてみる。
ハイチのサックス奏者兼作曲家のNemours Jean Baptisteの復刻アルバムである。
この人の名前はMini All Starsの「Pure Gold」を初めとするトリビュートで知っていたし、90年代にはボンバ・レコードから2in1のようなCDも出ていた筈だと思う。
ハイチの音楽といえば前述のMini All StarsやTabou Comboといったグループが有名であるが、そんな彼らの音楽の根幹を成しているCompas(あるいはCompas Direct)というスタイルを生み出したのがこのNemours Jean Baptisteである。元々ハイチではメランゲと呼ばれる優雅でエレガントなノリのスタイルの音楽が主流であったようだが、1950年代になるとドミニカのモダン・メレンゲがハイチ国内を席巻するようになった。メレンゲに人気を奪われた音楽シーンにおいて独自のスタンスを生み出そうとした流れから登場したのがコンパで、初期の頃のBaptisteのオルケスタの録音を聴くとマンボ風のキューバン・スタイルを借用しながらもメランゲ独特のゆったりとした粘り腰を感じる様な反復リズムによる演奏を聴くことができる。更にこの「Ti Carole」が録音された60年代にはトランペット2本と、アルト&テナー・サックス、アコーディオン、ウッド・ベース、パーカッションを兼ねるヴォーカルといったビッグ・バンド的な楽器編成、あるいはティンバレースやエレキギターといった楽器でのアンサンブルを展開していたようである。彼が最終的に完成させたコンパのスタイルではアコーディオンがアンサンブルの主体をなし、アクセント的にホーン・セクションが挿入されるという点、そしてハイライフやリンガラに通じるザイールのアフリカン・ポップ的なギターが特徴的であろう。
またヴォーカルの声も含めてややロマンティックでエレガントな雰囲気が漂っているのも彼のコンパの最大の魅力であると思われる。カリブ海の波を連想してしまうようなゆるやかに絡み合うリズムは一種幻惑的な雰囲気に包まれてしまう。延々続くこのリズムに身を委ねるのはアレの快感にも似ている。。。。。
試聴音源はこちらから
http://www.checkoutcds.com/music/band.php?BandID=23

ヴェネツィアのおっちゃんがある本の中で「黄金の国ジパング」などと書いたものだから、一攫千金を夢みる奴らが雨後の筍の如く、そのジパングなる国を目指して旅立ったりしたのだが、ジェノヴァ出身のある親方もそんな一人で、わざわざカスティーリヤの女王様に媚びてまで航海して到着した結果が悲劇の始まりというわけで、そもそも本人は自分の到達した地が最後までアジアの一部と信じて疑わなかったというアホさ加減は置いといて、そのためにこの地域が未だに西インド諸島と呼ばれているというのは歴史的な事実なのである。で、西インド諸島という名前に違わず、この地域にはインド系や中国系の移民の子孫もまた多く、特にTrinidad and Tobagoではこういった住民が人口の4割近くも数えるとあっては、当然の如くこの国の文化の担い手としても重要な役割を占めていたりもする。
というわけで、Sundar Popoさんの登場になるわけなのだが、この方はインド音楽をベースにしたポップ・ミュージックであるChutneyの創始者とされている歌手である。Trinidad and Tobagoといえば、言わずと知れたカリプソの国なのであるが、カリプソをよりアグレッシブにアレンジメントしたダンス・ミュージックがソカである一方で、インド系や中華系の住民の間ではやはりカリプソにアジア的なエッセンスをまぶしたChutneyというジャンルが人気を博している。俗にインディアン・カリプソなどと呼ばれているようであるが、ソカの跳ねるようなリズムにシタールやタブラ、ハルモニウムといったインド独特の楽器が交錯するその音は、エキゾでありトロピカルであるといった具合の極上の楽園的な音楽に仕上がっているのである。何はともあれ、スティール・パンが連打され、アフロ・パーッカションとタブラが乱れ打たれ、リンガラ・ギターがかき鳴らされる中からのんびりとした歌声のSundar Popoさんがインド歌謡風のメロディーを飄々と歌っていくこのベスト盤とその続編の2枚は、エスノ音楽好きも、ラテン音楽好きも持っていて損はない一枚であると思うのである。ま、時代的にズーク風の音を使っている雑食性もまた一興ではある。
試聴音源はこちらから
http://www.ecaroh.com/indian_music/sundarpopo_goldenhits.htm
http://www.ecaroh.com/indian_music/sundarpopo_greatesthitsvol2.htm

先日はマルチニクのクラリネット奏者Alexandre Stellioさんをピック・アップしましたが、今回は同じクラリネット(時にはサックスも)奏者のMichel Godzomさんが伝統と革新を見事にミックスさせた1990年に発表したアルバムを。。。
この人の作品は以前国内盤で「マルチニークの哀愁」というタイトルのCDが発売されていましたが、そちらの方はタイトルに相応しく、ビギン魂そのままにビギンやワルツ、マズルカといったクレオール音楽をストリングの伴奏を従えてまるでブラジルのショーロの如き優雅さあふれる演奏で披露していましたが、この作品では当時流行だったズーク(というよりはKassav’)を意識したような鮮やかなシンセと共にスピード感あふれるマズルカ・クレオールやビギンを聴かせてくれます。無論本流であるゆったりとした横揺れするような感覚を忘れることなく、あくまでもクレオール音楽としての基礎を踏まえてのズーク的な解釈であろうと思われますが、それは形は違えどもKaliが表現しようとしていたマルチニクに生きる人間の根っこのようなものをMichel Godzomさんもまた求めていたためではないかと思います。
一時期ズークがブームになり、この周辺の音楽ではこぞってDX-7の煌びやかな音色を使った強烈なダンス・ミュージックが隆盛を極めたのですが、それも一過性のもので長続きせず、ズークそのものがまろやかな感触のものに変貌していったことを思えば、Kassav’の功罪は良くも悪くも大きいとしか言えないのですが、その彼ら自身「Majestik Zouk」で原点回帰を目指したのですから「Vini Pou」が世界に与えた衝撃はまさに熱病のようなものだったのでしょう。Michel Godzomさんも流行りの音を使ってみました!という程度でこのアルバムを作ったのではないかと感じるのですが、その極彩色のシンセ音の根底にはアフロ的な要素が潜んでいたり、心地よいパーッカションや女性コーラスが響くといった具合にあくまでも自身のルーツには忠実な演奏を繰り広げています。
彼の奏でるクラリネットの響きはA.Stellioさんのように野趣あふれるものではなく、かぎりなく繊細でノスタルジックなもので、どこか心の琴線に触れるものがあるのです(A.Stellioさんの音とは別次元という意味です)。

こういうアルバムが国内で発売されるということは大変嬉しいことです。
Alexandre Stellioはマルチニク諸島出身のクラリネット奏者兼作曲家で、俗にBiguineの父と称されていて、80年代後半から90年にかけて流行したワールド・ミュージック・ブームの折に国内でも紹介されたKALIやMalavoiのメンバー達がもっとも尊敬し、影響を受けたアーティストとされています。煙草のCMで流れていたバンジョーが印象的だったKALIの「Conversation」や「Ti Citron」を記憶している方もいると思いますが、それらの曲を作ったのがこのAlexandre Stellioなのです。彼の演奏はいくつかの編集盤で聴くことが可能でしたが、今回オルター・ポップから発売されたこの作品は1929年10月の処女録音から、1931年11月までの録音を録音順に40曲収めた2枚組で、渡仏前後のまだ洗練されていない時期の野性味あふれるクラリネットを中心としたビギンやマズルカ・クレオールの演奏が収められています。
彼の演奏していた、ビギンとは19世紀中頃にハバネーラやカドリーユといったヨーロッパ系の舞曲とアフロ=カリビアン的なリズムが融合してできたもので、そのエキゾチックな魅力のために1920年代後半のパリのダンス・ホールでは一躍大流行したようです。30年代になって彼をはじめとする幾人かのマルチニク出身のアーティストが渡仏したことによってビギンは黄金時代を迎えました。折からその頃パリに滞在していたCole Porterがその熱気に魅入られて名曲「Begin The Beguine」を作曲したというエピソードは有名ですよね?もっともPorterの曲は名前こそビギンですが、ボレーロに近いパチもんなのもまたご存知だと思いますが。。。。
とにかく、このアルバムではAlexandre Stellioと彼が率いたSon Orchestre Creoleの演奏がたっぷり楽しめますが、彼の奏でる素朴で人懐こく、時には踊るように、時には物憂げに響く美しいクラリネットの音とシンコペーションを利かせたアンサンブルは洗練されていない時期のものとはいえ、どこか品の良さのようなものを覚えます。特にピアノの伴奏をともなった曲ではそのリズムの跳ね具合はラグ・タイムに近く感じられます。初期のラグ・タイム系の有名ミュージシャンの中にもマルチニク出身者が多かったらしいので、クレオール音楽としてビギンとラグ・タイムは兄弟のようなものだったのかもしれません。そういったことを念頭にいれながら聴くとまた違った味わいも出てくると思います。
SP盤からの復刻なので音質的には厳しい部分もあるとは思いますが、そんなノイズの彼方から聴こえてくるダイナミズムというか、生命の鼓動のようなものを感じる不思議な感触のアルバムだと思います。
安らぎたい方は是非一聴してみてください。
試聴音源はこちらから
http://www.metacompany.jp/cd/alterpop/WCCD/WCCD41016.html

ベネズエラが生んだ最強のトロピカル・アンサンブルともいえるGuacoは、彼らの出身地であるスリア地方のマラカイボ独特の伝承的な音楽であるガイタをベースとして、サルサやマンボ、メレンゲといったカリブ海のリズムを巧みに組み込み、一方ではブラス隊のみならずシンセサイザーを大胆に取り入れたりと、割と革新的な姿勢で歩んできたバンドだという気がします。彼らの伝承的なリズムに対する態度は「新しい歌運動」にあるようで、60年代半ばにベネズエラ各地のフォルクローレを採取する学生バンドとしてスタートしたGuacoの面々は、単にトラディショナルにとどまらずに異なる要素を加えることによって、都市におけるフォルクローレの再構成という意味も含んだ展開を視野に入れていたのではないかと思います。無論そういった行為には各方面から非難の対象にもなったようですが。。。。そういった小難しいことを抜きにしても、彼らの紡ぎだす絶妙なリズム・アンサンブルは爽やか&ポップ感覚に満ちていて、楽しさ満載の曲が目白押しです。L.Aフュージョンのようなシンセのイントロから、独特のミクスチャー的なリズム(コーラス部ではレゲエ風にシンセがリズムを刻んでいたりします)が展開していく「 Zapatero」、ロマンティックな曲調のラブ・ソング「Disculpame Pero Perdoname」、優雅な6/8拍子をフォルクローレ〜チャランガ風にアコ・ギが奏でる「Pregunte A Carruyo」、 ゲート・エコーのようなドラム音が仰々しく響き、シンセがアンサンブルの中核を担う「La Duda」、ポリ・リズムのパーカッションが小気味よい「La Primeta Vez」、 ライナーによればベネズエラ特有の19世紀の古い様式を残すカリプソとカーニバルを再現したという、陽気なカリビアン・スタイルの「Welcome To Callao 」、サルサ的な雰囲気の「Hoy Te Quiero Cantar」、ガイタを歌う人にとって信仰の対象でもあるらしい守護聖母チニータを讃えた「Sernata」、レゲエ風のギターのカッティングとムーディーなサックスにのせて美しいコーラスを聴かせる「Con La Soga En Los Pies」、メレンゲ的に疾走感あふれる「Una Noche Cualquiera」、 やはりサルサ・タッチの転がるようなピアノに煽られる熱情的なラブ・ソング「Nuestra Locura」、煌くようなブラス・アンサンブルが素晴らしい「 Juntos En Lo Mejor」、再びマラカイボの教会に祀られているチニータを賞賛したフォルクローレ風の「 Virgen Guaquera」、対訳によれば「若妻譲りたし、新品同様、美麗物件」などとユーモラスな歌詞をとぼけた調子で歌う「Anuncios Clasificados」まで、カリブの青い空(時には激しいスコールも・・・)をそのまま連想してしまうような気持ちのよい曲が次々と流れ出てきます。とにかく彼らは殆ど例年のようにアルバムを発表するといった精力的な活動を続けているのですが(無論現役です)、最近では触手を更に伸ばし、ファンクやR&Bあるいはラップまでも導入したカリビアン・ダンス・アルバムを発表しています。ただ、個人的には最近の路線はそういった姿勢が空回りというか、ガイタ本来が持っているリズムの揺らぎ感が失われてきたような気もします。
このアルバムは残念ながら廃盤のようですが、最近の音はMy Space.comで聴けます。
http://www.myspace.com/guacovenezuela

1989年の夏にカリブ海音楽のブームに便乗するような形で流れていた曲がKaomaの「Lambada」でした。どこかで聴いたことのある曲だと当時から思っていたのですが、実はこの曲がボリビアのフォルクローレ・グループ Los Kjarkasの「Llorando Se Fue(泣きながら)」だと気がつくには多少の時間を要したものです。あれよ、あれよという間にこの曲はヨーロッパのチャートを駆け上り、その余波で日本でも一大ブームとなったランバダだったのですが、これはジャンルではなくカリブ系やブラジル音楽のコンピレーションに例のエロチックなダンスをくっつけただけであるという極めて偽者っぽい雰囲気のものでした。異口同音のコンピが乱発される中で本家のKaomaが発表したのがこの「World Beat」というアルバムです。元々このグループはアフリカのアーティストTouré Kundaの活動休止中に暇をもてあましたバックバンドのMichel Abihssira(Drums)、Jean-Claude Bonaventure(keyboard)、グァドループ出身のギタリストJacky Arconteの3人が、やはりTouré Kundaのプロデュースやアレンジに関わっていたRoger Chyco Druの入れ知恵でブラジル人シンガーMonica NogueiraとLoalwa Bral、セネガル出身のFania Niangという 3人の女性ヴォーカルを迎えたスタジオ・セッション的なグループでした。完全に計算されたプロダクションはヨーロッパ人の目で見たエキゾティシズムという一点に集約され、カリブ海やアフリカのいろいろなリズムやサウンドをうまく取り入れた一大娯楽アルバムとなっているのです。「Lambada」で聴かれるメレンゲ伝統のアコーディオンを模したシンセ音や「Lamba Caribe」でのズークの借用、あるいは「Sindiang」でのアフリカン・リズムの効果的な使い方に見られるように、「踊れて、お洒落」というコンセプトに則った究極のやっつけ仕事的なアルバムとはいえ似非・ワールド・ミュージックと割り切って聴けば結構楽しめるアルバムであるのは確かです。高度消費社会から生まれた帝国主義・植民地主義知的音楽所有権及び音楽情報の搾取・簒奪・・・言葉を変えればこう表現できますね(笑)。